畠中市蔵
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畠中 市蔵(はたなか いちぞう、1887年(明治20年)12月20日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚、台湾総督府官僚。
経歴・人物
[編集]鹿児島県鹿児島郡吉野村岡之泉(現・鹿児島市吉野)に生まれる[1]。1915年(大正4年)8月、朝鮮総督府巡査となり、翌年11月に退職し、渡台する[1]。
1918年(大正7年)4月、阿緱庁(現・屏東市)巡査を拝命し、高雄州警部補、警部を経て、高雄州通訳となる[2]。ついで1932年(昭和7年)5月、台湾総督府属に転じ、1939年(昭和14年)5月に地方理事官に進み、高雄州潮州郡守に就任した[3]。その後は、台中州大甲郡守を務めたのち[4]、台中州産業部属に転じた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。