留岡彬
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留岡 彬(とめおか あきら、旧姓・池畑[1]、1908年-2002年[2])は、日本の洋画家。光風会会員[1][3]。戦後光風会展や日展で活動し、京都画壇で活躍[3]。重厚で色彩豊かな風景作品を発表した[2]。
鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)生まれ[1][3]。大牟礼南島が指導する[4]鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て[1]、1928年に東京美術学校 (旧制)西洋画科へ進学し藤島武二に師事[1]。1933年に同校を卒業[3]。教員となり滋賀県立大津高等女学校に赴任[3]。1941年京都市へ移る[3]。京都市立美術工芸学校の後身京都市立日吉ヶ丘高等学校西洋画科(後の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で教諭を務める[1][5]。
1954年第40回光風会展でK氏賞を受賞[6]。光風会会員となる[3]。1956年第42回光風会展で光風特賞を受賞[6]。日展にも出品し8回入選[3]。京都市からヨーロッパへ美術研修派遣[1][3]。京都画壇で活躍したほか、鹿児島市にもしばしば帰省し桜島をよく描いた[3]。温厚かつ誠実な人柄で、作品にも反映されていた[3]。妻は鹿児島県曽於地方出身の日本画家[1]。