町野范曹
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町野 范曹(まちの はんそう、1857年 - 1923年)は、日本の医師、開業医、西田川郡医師会初代会長、鶴岡町会議員、山形県会議員。
略歴
[編集]- 1857年(安政4年) - 出羽国鶴ヶ岡城下(現・鶴岡市)に歯科医師・町野重邨の3男として生れる。
- 庄内藩の藩校 致道館を卒業し、医師・進藤悠哉の書生となる。
- 1878年(明治11年) - 東京医学校済生学舎で医学を学ぶ。
- 順天堂病院で佐藤尚中に指導を受けて医師試験に合格する。
- 1881年(明治14年) - 鶴岡に帰郷し開業する。
- 1882年(明治15年) - 西田川郡徴毒検査医 就任
- 1884年(明治17年) - 警察医 兼 駆徴院医 就任
- 私立衛生会を設立し会長 就任。看護婦養成所を創立する。
- 1907年(明治40年) - 高橋良斎らと共に西田川郡医師会を設立し初代会長就任。
- 政治団体「荘内革新会」を組織する。
- 憲政会に属して鶴岡町会議員に当選。
- 1911年(明治44年) - 山形県議会議員に当選。
- 1919年(大正8年) - 同職退任
- 1921年(大正10年) - 医師会長職 退任
- 1923年(大正12年) - 死去。享年67。正覚寺に墓がある。
家族親族
[編集]- 父:町野重邨 - 歯科医師
出典・参考文献
[編集]- 『鶴岡地区医師会百年史』 鶴岡地区医師会(編纂・出版) 1992年