男山団地
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男山団地(おとこやまだんち)は、京都府八幡市に存在する住宅団地である。
概要
八幡市北西部に位置し、京都・大阪のベッドタウンとして機能している。八幡市西部の丘陵185.64haを開発し、計画人口32,000人、計画戸数8560戸(内訳:公団住宅5900戸、京都府公社または府営住宅500戸、公共建物40戸、一般住宅地1420戸、公団住宅地700戸)を予定していた[1]。 男山団地入居前(1970年頃)の八幡町の人口は約2万2千人であったことを考えると、大規模な計画であることが分かる。
計画の概要表
- 計画面積:185.64ha
- 開発の方法:土地区画整理事業(計画面積の約57%は日本住宅公団が買収)
- 計画人口:32,000人
- 計画戸数:8560戸
- 公団住宅5900戸
- 京都府公社または府営住宅500戸
- 公共建物(公団店舗付住宅)40戸
- 一般住宅地1420戸
- 公団住宅地700戸
歴史
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- 1960年 - 日本住宅公団(現都市再生機構)から男山丘陵住宅建設計画が発表される
- 1962年 12月 - 日本住宅公団が男山団地の開発を決定
- 1969年 5月 - 名称を「男山団地」に決定
- 1969年 11月 - 八幡土地区画整理事業の事業計画を認可(造成工事の開始)
- 1971年 4月 - 京都府立八幡高等学校開校
- 1972年 3月 - 男山団地(A地区・B地区)の入居開始
- 1972年 4月 - 八幡市立八幡第二小学校[2]、八幡市立男山第二中学校[2]開校
- 1974年 3月 - 男山団地(C地区・D地区)の入居開始
- 1974年 4月 - 八幡市立八幡第三小学校[2]開校
- 1974年 5月 - 京阪宇治交通(現・京阪バス)男山営業所開設
- 1975年 4月 - 八幡市立男山第三中学校[2]開校
- 1975年 10月 - 関西医科大学附属男山病院開院
- 1976年 12月 - 住所表示の変更を実施
- 1977年 4月 - 八幡市立八幡第四小学校[2]開校
- 1980年 4月 - 八幡市立八幡第五小学校開校
- 1986年 3月 - 中ノ山中継ポンプ場を廃止
- 1991年 12月 - 男山文化ホール(現生涯学習センター)開館[3]
- 2003年 3月 - 市道橋本南山線が延伸(男山松里-八幡南山)され、国道1号線に直結
- 2005年 2月 - コミュニティバスやわたの実証運行を開始
- 2007年 4月 - 京都府立京都八幡高等学校開校(八幡高校、南八幡高校を統合)
- 2008年 4月 - 八幡市立さくら小学校開校(八幡第三、第五小学校を統合)
- 2009年 4月 - 関西医大男山病院を医療法人美杉会へ事業継承
- 2010年 4月 - 八幡市立くすのき小学校開校(八幡第二、第四小学校を統合)
住区・地区センター
- 住区とその地名の由来
- 男山石城(男山B団地)
- 昔この付近を村人が「石城」と呼んでいたことに由来する[4]。
- 男山泉
- この地の北方に石清水五水の1つという説のある「福聚水」(ふくじゅすい)という泉があったことが伝えられていることに由来。男山団地の造成前には多くの泉や池が存在したため、水に恵まれた土地であることを表現した[4]。
- 男山金振
- 住所変更前の小字「金振」に由来[4]。
- 男山香呂(男山第二住宅・男山A団地)
- 男山は昔、雄徳山もしくは香呂山と呼ばれたことに由来する。「男山雄徳」とも対応させた[4]。
- 男山指月
- 以前、指月庵という尼寺がこの地域の西方にあったことを取り入れ、高台にあるこの地域の名称とした[4]。
- 男山笹谷(男山第四住宅・男山D団地)
- 住所変更前の小字「笹ヶ谷」に由来[4]。
- 男山竹園(男山A団地)
- 竹園とは竹藪の意味であり、団地内、特にこの地域に多くの竹が群生していたことに由来[4]。
- 男山長沢
- 住所変更前の小字「長沢」に由来[4] 。
- 男山八望(男山C団地)
- 高層住宅があり、南山城、北河内の両平野を展望できることに由来[4]。
- 男山松里
- この付近に伏排松、張の松という松に関する歴史的いわれが伝わっていること、松が成育していたことに由来[4]。
- 男山美桜
- 男山団地の開発前、この地域に多くあった桜の木は、現在さくら公園内に竹とともに保存されていることに由来[4]。
- 男山雄徳(男山E団地)
- 男山は昔、雄徳山もしくは香呂山と呼ばれたことに由来。昔は「おとく」と呼ばれていたが、分かりやすくするため、「ゆうとく」という読みを採用した[4]。
- 男山弓岡(男山第三住宅・男山B団地)
- 「月弓岡」(つゆみおか)と呼ばれていた丘陵が男山団地の北陵にあり、八幡八景の一つにも「月弓岡の雪」があげられている。また、男山の竹を弓として利用していたことも伝わっている。別に「指月」として「月」を使用しており、4字以内にとどめて呼称を簡潔にするため、「弓岡」と命名[4]。
- 男山吉井
- 地区センター
- 北センター(男山笹谷)
- 中央センター(男山八望)
- 南センター(男山竹園)
上下水道
上水道
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上水道は八幡市により配水されている。水源は市内の地下水と宇治川(京都府営水道)の水のブレンドとなっている。
下水道
男山団地内の排水方法は、雨水と汚水(下水)を別々に流す分流式下水道を採用している。
- 雨水の排水
- 男山団地(地区総面積186.6ha)における雨水は、約38%(71ha)を八幡側へ、約62%(115ha)を枚方側へ分けて排水されている[5]。これは男山団地開発前の分水面積の割合を維持したためである。
- 八幡側は八幡大芝でまとめて団地外へ排水され、八幡盛戸で大谷川へ直接流入するものと、途中で市役所・八幡小学校方面へ排水するものに分かれる[5]。
- 枚方側は当時の枚方北部公共下水道計画に従い、3本の川へ排水されている。男山団地の北部は天満川(北くずは方面)へ、中央部は利根川(楠葉東公園方面)へ、南部は車谷川(中の池公園方面)へそれぞれ排水されている[5]。
- 汚水(下水)の排水
- 男山団地における汚水(下水)も、雨水と同様に枚方側と八幡側へ分けて排水されている。しかし、男山団地造成時には八幡側の下水道(木津川流域下水道)が未整備であったため、1986年3月までは男山団地の汚水は全て枚方側へ排水されていた[5]。枚方側に排水されている地域に関しては、最終的に枚方市渚内野にある、淀川左岸流域下水道渚水みらいセンター(2006年までは枚方北部下水処理場)で浄化されている。八幡側に傾斜している地域に関しては、八幡焼木の洛南浄化センターで浄化されている。(1986年3月までは、中ノ山中継ポンプ場に一旦全て集められ、枚方側へ排水されていた[5]。)
交通
- 京阪本線 樟葉駅などから多数バスが運行されており、コミュニティバスも団地内循環・樟葉駅方面と、橋本から当団地を経由のち八幡市役所・上津屋方面へ向かう2路線が存在する。団地内に京阪バス男山営業所が位置する。
主な道路
- 市道橋本南山線(男山長沢-男山松里):幅員20m
- 市道八幡城陽線(男山泉-男山美桜):幅員18m
- 市道男山1号線(男山雄徳-男山香呂):幅員16m
- 市道西山下奈良線(男山雄徳):幅員16m
行政施設等
- 八幡警察署男山交番
教育施設
幼稚園・保育園
- 八幡市立八幡第二幼稚園
- 八幡市立八幡第三幼稚園
- 八幡市立八幡第四幼稚園
- なるみ幼稚園
- さなえ幼稚園
- わかたけ保育園
- ぶどうの木保育園
- 山鳩保育園
小・中学校
- 八幡市立くすのき小学校(2010年八幡第二・八幡第四両小学校を統合)
- 八幡市立八幡第二小学校(2010年3月閉校)
- 八幡市立八幡第四小学校(2010年3月閉校)
- 八幡市立さくら小学校(2008年八幡第三・八幡第五両小学校を統合)
- 八幡市立八幡第三小学校(2008年3月閉校)
- 八幡市立八幡第五小学校(2008年3月閉校)
- 八幡市立男山第二中学校
- 八幡市立男山第三中学校
高等学校・大学
図書館・博物館・その他
- 八幡市立生涯学習センター(八幡市立男山図書館)
商業施設
脚注
- ^ 出典:「八幡町政だより」第101号(1971年11月28日発行)
- ^ a b c d e 1977年(昭和52年)11月1日の八幡市市制施行前のため「八幡町立○○小学校(中学校)」として開校。
- ^ 出典:「広報やわた」第339号(1991年11月発行)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 出典:「広報やわた」第140号第4面(1976年2月発行)
- ^ a b c d e 出典:「八幡町政だより」第74号(1969年12月25日発行)
参考文献
- 住宅・都市整備公団関西支社『まちづくり30年 -近畿圏における都市開発事業-』1985年12月27日発行
- 八幡市史編集委員協議会『八幡市史第3巻』1984年3月20日発行
- 男山地域活性化基本構想策定委員会『男山地域活性化基本構想』2005年3月発行
- 八幡市教育委員会教育総務課『平成22年度 八幡市の教育』2010年7月発行
- 京阪宇治交通『地域とともに六十年』1983年10月発行