辛善虎
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(申善虎から転送)
辛善虎 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 신선호 |
漢字: | 辛 善虎、申 善虎、申 善昊 |
発音: | シン・ソンホ |
日本語読み: | しん ぜんこ |
ローマ字: | Sin Seon-ho |
英語: | Sin Son-ho |
辛 善虎(シン・ソンホ、1948年7月5日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の外交官、元国連大使。祖国から数々の勲章とメダルを授与されている。
経歴
[編集]1972年 金日成総合大学卒業。
1972年-1979年 在エジプト大使館にて三等書記官を務める。
1979年-1983年 外務省にて課長(Senior Officer)を務める。
1986年-1990年 外務省にて室長(Division Chief)を務める。
1990年-1995年 在ジンバブエ大使館にて参事官を務める。
1995年-1999年 外務省にて局次長(Deputy-Director)を務める。
2000年-2003年 国連次席大使を務める。
2003年-2008年 外務省にて事務局長(Director-General)を務める。
2008年 5月7日 最高人民会議常任委員会の決定により国連駐在朝鮮常任代表(国連大使)就任。
2014年2月、国連大使職を慈成男(チャ・ソンナム)に譲り朝鮮に帰国[1]。
( )内の英語は国連オフィシャルサイトのプロフィールによる。
人物
[編集]- 配偶者と2人の子供たちがいる。
- 一握りの先進国がもたらす経済的不均衡は、当の先進国にも損失を与えるであろうと警鐘を鳴らす[2]。
- 全人類が持続可能性のある発展をするには、平等と互恵に根ざした公正な国際経済および通商が不可欠であると主張[3]。
- 2007年来の世界金融危機の回避には、主権の平等と全世界の利益を構築する新秩序が必要と提唱[4]。
- 2008年末から2009年初にかけての、パレスチナとイスラエルのガザ紛争ではパレスチナ側を擁護[5]。
- 2009年4月5日の朝鮮民主主義人民共和国によるミサイル発射実験に関して、報道陣が差し出してきた安保理議長声明案のコピー紙を撥ねつけ、感情を露わにする様子が当時テレビで報道された。6月には核実験に関して、安保理決議(国際連合安全保障理事会決議1874)の案のコピー紙が報道陣から差し出されコピー紙を撥ねつけた[6]。7月、軍事演習に関して記者から向けられたマイクを払い退ける場面も[7]。
関連項目
[編集]- 朝鮮統一問題
- 銀河2号 (ロケット)
- 国際連合安全保障理事会決議1718
- 金桂冠
- 朴吉淵(パク・キルヨン 박길연 en:Pak Kil-yon) - 前任の国連大使
- 朴徳勲(パク・ドクフン 박덕훈 Pak Dok Hun) - 国連次席大使
脚注
[編集]- ^ 国連の新北朝鮮大使、就任初日から「びっくり仰天」 - 東亜日報(2015年10月28日閲覧)
- ^ Fifty-sixth General Assembly Second Committee 7th Meeting (AM) 国連オフィシャルサイト 2001年10月3日(英語)
- ^ Fifty-seventh General Assembly Second Committee 3rd Meeting (PM) 国連オフィシャルサイト 2002年9月30日(英語)
- ^ Conference on World Financial and Economic Crisis 8th & 9th Meetings (AM & PM) 国連オフィシャルサイト 2009年6月29日(英語)
- ^ General Assembly Plenary Tenth Emergency Special Session 32nd & 33rd Meetings (AM & PM) 国連オフィシャルサイト 2009年1月15日(英語)
- ^ 北朝鮮の国連大使は無言 決議案合意 日経新聞 2009年6月11日
- ^ 国連の北朝鮮代表部「通常の軍事演習」 日テレNEWS24 2009年7月5日(動画)
外部リンク
[編集]- Biographical Note - 国連オフィシャルサイトのシン・ソンホ大使プロフィール(英語)
- 写真: 国際 - ウェイバックマシン(2009年7月28日アーカイブ分) - シン・ソンホ大使の近影(産経新聞 2009年7月25日)
公職 | ||
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先代 朴吉淵 |
朝鮮民主主義人民共和国国連大使 2008年~2014年 |
次代 慈成男 |