申ドル石
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申 乭石(シン・ドルソク、신돌석、1878年11月26日(旧暦11月3日) - 1908年11月18日)は、大韓帝国の義兵。本名をシン・テホ(申泰浩、신태호)といい、申乭錫(読み方同じ)という別名もあった。現在の慶尚北道盈徳郡出身[1]。
平民出身の義兵隊長として、抗日武装闘争の先頭に立って日本軍と戦った[2]。1905年の乙巳条約締結後は300人余りを指揮し、日本の軍艦を9隻撃沈させている[1]。その後、江原道まで活動範囲を広げ、「太白山の虎」と呼ばれたが、1908年に日本軍に買収された部下により毒殺された[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d “潜水艦に復活した「太白山の虎」申乭石将軍”. 東亜日報 (2017年8月15日). 2024年3月28日閲覧。
- ^ a b “韓国海軍の最新鋭潜水艦「申ドル石」が進水 19年に作戦配備”. 聯合ニュース (2017年9月7日). 2024年3月28日閲覧。