田辺鶴英
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本名 | |
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生年月日 | 1955年11月22日(69歳) |
出身地 | 日本・北海道函館市 |
師匠 | 田辺一鶴 |
弟子 | 田辺銀冶 |
名跡 | 1. 田辺あか美 (1991年 - 1994年) 2. 田辺鶴英 (1994年 - 2008年) 3. 田辺鶴瑛 (2008年 - 2022年) 4. 田辺鶴英 (2022年 - ) |
家族 | 田辺銀冶(娘) |
所属 | 講談協会 |
公式サイト | 講談師 田辺鶴英 |
田辺 鶴英(たなべ かくえい、1955年11月22日 - )は、講談協会所属の講談師。本名は土 あか美。
来歴
[編集]北海道函館市出身。札幌藤女子短期大学別科卒業。19歳の時に母を亡くし、心の空白を埋めるためインド・インドネシア・沖縄などを旅する。帰国後、陶芸家、草間彌生の助手、女優を日指すなどを経て結婚。出産、子育ての後、義母が倒れ3年間の介護を経験。
義母の死後、1990年(平成2年)9月、夢の中に講談師田辺一鶴が現れ、さらにその1ヶ月後、新聞に田辺一鶴の「講談修羅場道場開講」の記事を目にしたことをきっかけに田辺一鶴に入門。自身の経験をもとにした「介護講談」は映画化もされている[1][2]。
現在、介護講談をはじめ、発達障害やアスペルガーの講談でも活動している。また、娘で同じく講談師の田辺銀冶と共に母娘講談も行っている[3]。
年譜
[編集]- 1990年(平成2年)11月 - 田辺一鶴に入門。
- 1995年(平成7年)4月 - 二つ目昇進、「鶴英」に改名。
- 2003年(平成15年)9月 - 講談協会、真打昇進。
- 2006年(平成18年)7月 - ニューヨーク公演。
- 2006年(平成18年)11月 - ハンガリー公演。
- 2007年(平成19年)- 在宅介護ビデオ「ほっとけ心のアッパレ介護」制作。
- 2008年 (平成20年)10月 - 「鶴瑛」に改名。
- 2016年(平成28年)- 介護講談自主上映作品「田辺鶴瑛の『介護講談』」完成。
- 2017年(平成29年)5月 -「田辺鶴瑛の『介護講談』」 国際映画祭で受賞。
- 同年、ジャパンフィルム・フェスティバル In LA 2017 でベスト・ドキュメンタリー賞を受賞[4]。
- 2022年(令和4年)3月 -一からやり直す意味で昔の名前「鶴英」に改名。
代表的な演目
[編集]新作
[編集]- 介護講談
- 「鶴瑛の修羅場介護日記」
- 「ほっとけ心のアッパレ介護」
- 「爺ちやんちゃんと死ねて良かったね」
- 自閉症講談
- 「だからこそ私は私」~自分の花を咲かそうぞ~
古典
[編集]- 「杜子春」
- 「本能寺」
- 「三方原軍記」
- 「姉川軍記」
- 「魚屋本多」
- 「寛政力士伝」
- 「大力お秀」
- 「白隠禅師」
- 「明智湖水渡」
- 「西行鼓ヶ瀧」
- 「神崎与五郎情の仮名書き」
- 「鶴八鶴二郎」
- 「宮本武蔵姫路城伝説」
新作・その他
[編集]- 「武州一揆」
- 「真説武州一揆」
- 「オリンピック日本女子金メダリスト列伝」
- 「薩摩隼人伝説」
- 「下諏訪伝説唐糸草紙」
- 「オペラ座の怪人と私」
- 「日米地位協定」
- 「富山ホタルイカ伝説」
- 「ハリス夫人物語」
- 「フランクリン・ルーズベルト物語」
- 「ペギー葉山物語」
著書
[編集]弟子
[編集]脚注
[編集]- ^ 及川綾子 (2016年10月14日). “介護講談、「いい加減」が大事 田辺鶴瑛さんの映画完成:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2021年9月5日閲覧。
- ^ “田辺鶴瑛さんの介護講談、映画化 義父を大嫌いから大好きに|ケアするウェブマガジン ゆうゆうLife”. ゆうゆうLife (2019年8月6日). 2021年9月5日閲覧。
- ^ 佐藤 俊 (2021年5月16日). “悩みながら、迷いながら……講談界初の“母娘真打” 田辺銀冶が歩んできた道 | 文春オンライン”. 文春オンライン. 文藝春秋社. 2021年9月5日閲覧。
- ^ “2017 – Japan Film Festival Los Angeles” (英語). JAPAN FILM FESTIVAL LOS ANGELES (2017年). 2021年9月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- 講談師 田辺鶴英
- 田辺鶴英 - 講談協会
- 田辺鶴英 (kakuei.tanabe) - Facebook
- 鶴英の講談チャンネル - YouTubeチャンネル
- 映画『田辺鶴瑛の「介護講談」』