田辺光彰
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田辺光彰 | |
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生誕 |
1939年2月15日[2] 神奈川県[3][1] |
死没 | 2015年3月30日(76歳没)[3][1] |
出身校 | 多摩美術大学[3][1] |
著名な実績 | 彫刻[3][1] |
受賞 |
第1回ヘンリー・ムーア大賞展ジャコモ・マンズー特別優秀賞 1979年 第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展宇部市野外彫刻美術館賞 1980年 [1] |
公式サイト | www.portwave.gr.jp/tanabe/ |
影響を受けた 芸術家 | イサム・ノグチ[1] |
田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 2015年3月30日)は、日本の彫刻家[3][1]。
来歴
[編集]1939年(昭和14年)[3]、神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校[4]、多摩美術大学彫刻科を卒業後、イサム・ノグチと出会い、影響を受ける。巨大なステンレス鋼製のモニュメント作品を数多く手がけ[1]、農業、野生稲[3]、種の保全などをテーマに活動した[1]。2015年(平成27年)3月30日、肺炎のため川崎市の病院で死去。76歳没[4]。
主な作品
[編集]- 『さく』 - 1983年。長野県佐久市、佐久市立近代美術館 油井一二記念館の前庭に設置[1]。
- 『遙かなるもの・横浜』「貝」「花壇」 - 1987年。神奈川県横浜市中区、横浜港本牧埠頭の突堤に設置[1]。
- 『SEOUL・籾・熱伝導』 - 1987年。大韓民国、国立現代美術館に設置[1]。
- 『直江津』 - 1988年。新潟県上越市、直江津港に設置[1]。
- 『MOMI(野生稲の発芽-2)』-1994年。母校である、神奈川県横浜市神奈川区、神奈川県立横浜翠嵐高等学校の開校80周年に際し、正門横に設置。
- 『メコンリバー』 - 2002年。神奈川県横浜市港北区、横浜市立下田小学校に設置[1]。
- 『KADIMAKARA(爬虫類・MOMI - 2006)』 - オーストラリア、マリーバ・ウェットランドに設置[1]。
- 『THE SEED 2009 / MOMI IN SITU CONSERVATION』(種・2009〜野生稲の自生地保全) - 2009年。ノルウェー・スヴァールバル世界種子貯蔵庫の最深部VIPルーム壁面にて永久展示[3][5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “【訃報】田辺光彰氏 大スケールのモニュメント作品手掛ける”. 美術年鑑社. (2015年4月2日) 2018年6月9日閲覧。
- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.365
- ^ a b c d e f g h “田辺光彰美術館”. 日吉の森文化財団. 2018年6月9日閲覧。
- ^ a b “田辺光彰さん死去 野生稲モチーフの彫刻家(2015年4月12日付)”. 神奈川新聞社 (2016年8月8日). 2018年6月9日閲覧。
- ^ 伊藤修. “極北の国際ジーンバンクに彫刻家・田辺光彰氏の作品”. 2018年6月10日閲覧。