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田村遺跡群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村遺跡群
田村遺跡 やよいの広場
地図
所在地 日本の旗 日本 高知県南国市田村乙2465-3
座標 北緯33度33分57.6秒 東経133度40分04.5秒 / 北緯33.566000度 東経133.667917度 / 33.566000; 133.667917座標: 北緯33度33分57.6秒 東経133度40分04.5秒 / 北緯33.566000度 東経133.667917度 / 33.566000; 133.667917
種類 遺跡
面積 56 ha埋蔵文化財包蔵地
歴史
時代 弥生時代古墳時代奈良時代
追加情報
所有者 私有地・公有地混在
管理者 高知空港緑の広場 やよい広場
一般公開 一部公開

田村遺跡群(たむらいせきぐん)は、高知県南国市田村にある遺跡群史跡指定はされていない。全国で最大級の弥生時代の集落遺跡として知られる。

概要

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2000年(平成12年)2月に高知県南国市で発見される。その後、高知龍馬空港の建設に伴い発掘調査され、遺跡規模が非常に大きく注目される。これまで調査された弥生時代遺跡の中で日本最大級のものとなる。約2000年前(弥生時代中期後半)からの約100年間につくられた竪穴建物約450棟、掘立柱建物約400棟の、計約850棟の建物遺構が確認されている。

三重の環濠、大量の弥生土器、ガラス玉、環状石斧、銅鏡片、神殿らしい建物が描かれた土器、人面獣身の土偶などが出土。北部九州より古い弥生土器もあるとされ、集落は早くから発展し、盛期には「1000人規模の弥生都市だった」との見解も出されている。

ギャラリー

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その他

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  • 出土した土器等から年代をみると、弥生時代の中期末頃(紀元前1世紀)に大きなピークがあり、調査区東半ではほぼ全面に遺構が展開。調査範囲の西端部であるⅠ区では、後期終末(紀元2世紀頃)の竪穴建物跡が2棟出土[1]
  • 多数の地元産土器の中に近畿地方産の土器が含まれており、遠隔地との交流がうかがわれている。
  • これまでの調査成果からは、遺構が散在する中期中頃までの景観から中期末の大集落、そして後期後半には急激に減少に向かい、終末期には少数の建物が周辺部のみに営まれるという経緯をたどったことがわかった。これらのことから、紀元前1世紀にピークを迎え、紀元2世紀頃に急激に減少していることから、邪馬台国魏志倭人伝に報告された倭国大乱の時期に、集落は縮小に向かったことが判った。

脚注

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  1. ^ 考古学から見た高知県「古代」”. 公益財団法人高知県立埋蔵文化財センター. 2019年5月10日閲覧。