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田村晃一 (考古学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村晃一(たむらこういち)
人物情報
生誕 (1932-08-11) 1932年8月11日
東京都北豊島郡南千住町。現・荒川区南千住町
死没 (2014-12-20) 2014年12月20日(82歳没)
東京都
国籍 日本
出身校 東京大学
学問
活動地域 日本国北東アジア
研究分野 考古学
研究機関 青山学院大学文学部史学科
称号 名誉教授
主な業績 文化庁・大学で日本各地を遺跡調査。渤海国を研究。
学会 日本考古学協会青山学院大学青山考古学会
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田村 晃一(たむらこういち、Koichi TAMURA、1932年(昭和7年)8月11日 - 2014年(平成26年)12月20日)は、日本考古学者青山学院大学文学部名誉教授。元日本考古学協会会長。

経歴

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  • 1932年(昭和7年) 東京都北豊島郡南千住町(現在荒川区)に誕生。
  • 1953年(昭和28年) 東京大学教養学部に入学。
  • 1955年(昭和30年) 同大文学部考古学科に進み考古学を学ぶ。1957年(昭和32年)4月同大大学院進学。
  • 1959年(昭和34年) 日本考古学協会に入会。
  • 1962年(昭和37年) 東京大学大学院を単位取得退学。文化庁の前身・文部省文化財保護委員会に入り、記念物課文部技官に就任。
  • 1970年(昭和45年) 文化庁を退職。青山学院大学文学部史学科の助教授に就任。
  • 1977年(昭和52年) 教授に就任。
  • 2001年(平成13年) 青山学院大学を定年退職。4月、名誉教授に就任。
  • 2004年(平成16年) 同年5月から2006年(平成18年)5月まで日本考古学協会会長[1][2]
  • 2014年(平成26年)、逝去。82歳[3]

研究

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著書・編著等

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  • 2000年(平成12年)『考古学探訪の基礎用語』山川出版社[6]
  • 2001年(平成13年)『楽浪と高句麗の考古学』同成社[7]
  • 2005年(平成17年)『東アジアの都城と渤海』(東洋文庫論叢 第64)東洋文庫[8]
  • 2007年(平成19年)『渤海都城の考古学的研究』(東洋文庫前近代中国研究斑)[9]
  • 2009年(平成21年)『扶桑』(田村晃一先生喜寿記念論文集)青山考古学会田村晃一先生喜寿記念論文集刊行会[10]
  • 2011年(平成23年)『クラスキノ:ロシア・クラスキノ村における一古城跡の発掘調査』[11]
  • 2013年(平成25年)『論集:沿海州渤海古城クラスキノ古城の機能と性格』青山学院大学クラスキノ土城発掘調査団・ロシア科学アカデミー極東支部歴史考古民族学研究所[12]

参考文献

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  • 『青山考古』33号(田村晃一先生追悼号) 青山学院大学・青山考古学会発行(2017年〈平成29年〉5月31日)[13]

脚注

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関連項目

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