田村俊子賞
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田村俊子賞 | |
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受賞対象 | 女性作家のすぐれた作品 |
開催日 | 4月16日 |
会場 | 東慶寺 |
国 | 日本 |
主催 | 田村俊子会 |
初回 | 1961年 |
最新回 | 1977年 |
田村俊子賞(たむらとしこしょう)は、田村俊子の死後に発生した印税を基に設立された文学賞[1] 。女流作家の優れた作品に贈られる[2]。「田村俊子会」が主催[1]。第17回で終了した[1]。俊子の友人だった湯浅芳子が中心となって設立し、俊子に夫を寝とられた佐多稲子も選考委員を務めた。その様子は瀬戸内寂聴『孤高の人』に詳しい。授賞式は、毎年、俊子の命日にあたる4月16日に、墓のある北鎌倉の東慶寺にて行われた[3]。
受賞者
[編集]- 第1回(1961年)- 瀬戸内晴美『田村俊子』
- 第2回(1962年)- 森茉莉『恋人たちの森』
- 第3回(1963年)- 倉橋由美子 ― 業績に対して
- 第4回(1964年)- 竹西寛子『往還の記』
- 第5回(1965年)- 阿部光子「遅い目覚めながらも」「神学校一年生」 /秋元松代『常陸坊海尊』
- 第6回(1966年)- 萩原葉子『天上の花 三好達治・抄』
- 第7回(1967年)- 中村きい子『女と刀』
- 第8回(1968年)- 松田解子『おりん口伝』 /吉行理恵『夢のなかで』
- 第9回(1969年)- 福田須磨子『われなお生きてあり』
- 第10回(1970年)- 三枝和子『処刑が行われている』 /松原一枝『お前よ美しくあれと声がする』
- 第11回(1971年)- 江夏美好『下々の女』 /本多房子 ― 婦人民主新聞記者としての活動に対して
- 第12回(1972年)- 広津桃子『春の音』 /江刺昭子『草饐―評伝・大田洋子』 /石垣りん『石垣りん詩集』
- 第13回(1973年)- 高橋たか子『空の果てまで』
- 第14回(1974年)- 富岡多恵子『植物祭』
- 第15回(1975年)- 吉野せい『洟をたらした神』 /島尾ミホ『海辺の生と死』
- 第16回(1976年)- 津島佑子『葎の母』 /一の瀬綾『黄の花』
- 第17回(1977年)- 木々康子『蒼龍の系譜』 /武田百合子『富士日記』