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田 春羅(でん しゅんら、1108年 - 1128年)は、南宋の高宗の即位前の側室。
北宋で郡君に封ぜられた。
靖康の変後、金に連行された。高宗は南宋で即位後、金に抑留されたままの正室邢秉懿を皇后に封じたが、側室らの冊封はしなかった。金の天会5年(1127年)6月7日、高宗に屈辱を与えるため、田春羅は高宗の母(韋賢妃)、高宗の他の妻妾(邢秉懿・姜酔媚)、高宗の娘(趙仏佑・趙神佑など)と共に、洗衣院に落とされた。翌天会6年(1128年)4月、田春羅は洗衣院で死去した。