田川平三郎
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田川 平三郎[1](たがわ へいさぶろう[2]、旧姓・高橋、1868年4月22日(明治元年3月30日)[3][4] - 1951年(昭和26年)2月17日[2][5])は、日本の商人(米並びに酒商)[1][6]、神奈川多額納税者[7][8][9][10]、政治家。衆議院議員(神奈川県第四区選出、当選1回)[2][11]。
経歴
[編集]三重県飯南郡花岡村(現松阪市)出身[11]。高橋萬蔵の六男[6][9][10][12]。田川幸蔵の養子となり1901年、養弟國太郎の後を承け家督を相続する[6][10][12]。米並びに酒商を営む[6][10]。
田浦町議、三浦郡議、神奈川県議、所得税、営業税の各調査委員、鎌倉銀行取締役[1]、田浦土地建物取締役社長となる[5][11]。
1922年、神奈川4区の補欠選挙において憲政会公認で当選した。衆議院議員を1期務めた。
1951年2月17日に死去した[2]。
人物
[編集]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[4]。趣味は読書、園芸[6][9][10]。宗教は浄土宗[6][9][10]。住所は神奈川県横須賀市浦郷[6][9][10]、三浦郡田浦町[12]。
家族・親族
[編集]- 田川家
- 養父・幸蔵[6]
- 妻・クラ(1871年 - ?、養父・幸蔵の三女)[6]
- 二男・誠治(1892年 - ?、政治家、神奈川県会議員)[9]
- 同妻[12]
- 三男[6]
- 四男[6]
- 五男[12]
- 二女[12]
- 三女・照子(1906年 - ?、神奈川、河野一郎の妻)[12]
- 孫・誠一[12](1918年 - 2009年、政治家、新自由クラブ衆議院議員)
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c 『大日本紳士名鑑』神奈川県7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月5日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』269頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月14日閲覧。
- ^ 衆議院『第四十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1921年、5頁。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月16日閲覧。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』350頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第13版 下』タ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月14日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 神奈川県11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月19日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 神奈川県12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』タ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第11版 下』タ4 - 5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月15日閲覧。
- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第9版』タ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。