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田川市立伊田小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田川市立伊田小学校
地図北緯33度38分58.4秒 東経130度48分57.0秒 / 北緯33.649556度 東経130.815833度 / 33.649556; 130.815833座標: 北緯33度38分58.4秒 東経130度48分57.0秒 / 北緯33.649556度 東経130.815833度 / 33.649556; 130.815833
過去の名称 伊田尋常高等小学校分教場
伊田中部尋常高等小学校
伊田中部国民学校
田川市立伊田中部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 田川市
校訓 自律・協同・奉仕
設立年月日 【創立】
1875年明治8年)
【分離・独立】
1940年昭和15年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B140220600087 ウィキデータを編集
校舎面積 4,852 m2[1]
所在地 825-0002
福岡県田川市伊田4390番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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田川市立伊田小学校(たがわしりつ いたしょうがっこう)は、福岡県田川市伊田に位置する公立小学校

概要

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歴史
1937年昭和12年)に「伊田尋常高等小学校分教場」として発足。1940年(昭和15年)に伊田尋常高等小学校より分離の上、「伊田中部尋常高等小学校」として独立。数回の改組・改称を経て、現校名となったのは、1950年昭和25年)。創立年は源流を同じくする田川市立鎮西小学校(旧・伊田南部尋常高等小学校)と同じ1875年(明治8年)としており、2025年令和7年)に創立150周年を迎える。
校訓
「自律・協同・奉仕」
校章
中央に「小」の文字を配している。
校歌
1956年(昭和31年)制定。作詞は星野定義、作曲は池田勝重による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
通学区域
住所表記で田川市の後に「魚町、伊田町、番田町、寿町、川端町、下伊田、鉄砲町、東町、桐ヶ丘、蛍ヶ丘、糸飛」が続く地区。中学校区は田川市立田川東中学校2023年(令和5年)4月開校)。

沿革

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  • 1875年(明治8年)- 創立。

1937年(昭和12年)より前の沿革については田川市立鎮西小学校#沿革を参照。

  • 1937年(昭和12年)4月 - 伊田渡りに「伊田尋常高等小学校 分教場」が設置される。尋常科1~4年生を収容。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 -「伊田中部尋常高等小学校」として分離・独立。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により、「伊田中部国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)11月3日 - 田川郡2町(伊田・後藤寺)の合併により、「田川市」が発足。
  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)- 父母教師会が発足。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「田川市立伊田小学校」(現校名)に改称。
  • 1952年(昭和27年)- 福岡学芸大学田川分校代用附属小学校となる。
  • 1956年(昭和31年)- 校旗を新調。校歌を制定。
  • 1958年(昭和33年)- 相撲場が完成。
  • 1966年(昭和41年)- 福岡教育大学田川分校代用附属と改称。
  • 1972年(昭和47年)- 福岡教育大学田川分校代用附属校を返上。
  • 1982年(昭和57年)- 新校舎が完成。
  • 1989年(平成元年)- 創立105年・分離独立50周年記念事業を実施。
  • 1993年(平成5年)- 「風雪のみち」石碑が完成。
  • 2006年(平成18年)- 福岡県立大学との連携教育活動を開始。
  • 2010年(平成22年)- 太陽光発電施設を整備。
  • 2016年(平成28年)- 体育館横裏門が完成。

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

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脚注

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  1. ^ 田川市学校施設長寿命化計画”. 田川市. p. 10 (2021年2月). 2024年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。

参考資料

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  • 「田川市誌」(1954年(昭和29年)12月1日発行, 田川市)p.358~p.359
  • 「田川市史 下巻」(1979年(昭和54年)3月1日発行, 田川市)

関連項目

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外部リンク

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