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田島淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田島 淳(たじま じゅん、1898年明治31年)1月19日 - 1975年昭和50年)1月29日[1])は、日本劇作家[2]脚本家[3]

人物

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神奈川県横浜市出身[1]。田島商事社長・田島啓次郎の長男[2]1922年早稲田大学英文科を卒業した[1]。早大在学中に松竹キネマに入社した[1]。のち松竹本社文芸部に入社した[1]。昭和期に入ってから劇作から遠ざかり、演出などをした[1]1926年、『田島淳戯曲集』を刊行した[1]1968年に復刊された『劇と評論』では編集長を務めた[1]。宗教は日蓮宗[3]。住所は神奈川県横浜市中区根岸町[3]

家族・親族

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田島家
  • 父・啓次郎1869年生、蚕糸紡績業)[3]
  • 妻・艶子1895年生、東京、吉田庄三郎の三女)[3]
  • 長男[3]
  • 二男・[3]1932年生、劇作家)
    • 孫・整[4](1970年生、仏像研究者)
  • 次女・奈須美(1943年生、日本画家)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 田島 淳とはコトバンク。2019年3月8日閲覧。
  2. ^ a b 『大衆人事録 昭和3年版』タ48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』神奈川74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月10日閲覧。
  4. ^ [1]

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社ほか、1927年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。