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田島 治兵衛(たじま くへえ、天明3年(1783年) - 天保14年(1843年))は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]。
近江甲賀郡市原村(現:滋賀県甲賀市甲南町市原)の庄屋[1][2]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である[1]。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ[1]、江戸へ護送され獄死した[1][2]。