コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田尻利雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田尻 利雄
生誕 1890年1月27日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1970-02-08) 1970年2月8日(80歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1941年
1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

田尻 利雄(たじり としお、1890年明治23年)1月27日[1] - 1970年昭和45年)2月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]

経歴

[編集]

1890年(明治23年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第31期卒業[1]1928年(昭和3年)には山東出兵後の山東省を視察するため同地に出張し[3]1929年(昭和4年)には英国に出張している[4]1933年(昭和8年)1月12日陸軍省軍務局徴募課高級課員に着任し[2]1935年(昭和10年)3月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第46連隊長に転じた[2]1937年(昭和12年)3月には第3師団参謀長に就任した[2]

1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将進級と同時に歩兵第10旅団長に着任し[1][2]1939年(昭和14年)10月には第11歩兵団長に転じた[1]1941年(昭和16年)3月1日に陸軍中将進級と同時に留守第1師団司令部附となり[1][2]、その後同師団長代理として報告書を提出している[5]7月22日には第61独立歩兵団長として、部隊編成完結を東条英機陸軍大臣に報告している[6]11月6日留守近衛師団長に就任したが[1]、同月宮城でボヤ騒ぎが発生したことから[7]、東条陸軍大臣の手によって12月1日に待命[2]12月28日予備役に編入された[1][7]1945年(昭和20年)3月31日に召集され、福岡連隊区司令官兼福岡地区司令官に就任した[8]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]

栄典

[編集]
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 443頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 292頁.
  3. ^ 田尻少佐支那出張の件」 アジア歴史資料センター Ref.C07090422500 
  4. ^ 外務省報第百七十六号(昭和四年四月一日)/出張及留学」 アジア歴史資料センター Ref.B13091579500 
  5. ^ 臨時軍事費予算増額の件上申」 アジア歴史資料センター Ref.C07092050000 
  6. ^ 全部隊編成完結の件」 アジア歴史資料センター Ref.C04123322200 
  7. ^ a b 藤井 2013, 228頁.
  8. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『陸軍人事 : その無策が日本を亡国の淵に追いつめた』潮書房光人社、2013年。ISBN 4769828055