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田名部街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田名部街道(たなぶかいどう)とは、青森県上北郡野辺地町から同県むつ市を結ぶ街道。

概要

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藩政時代、奥州街道野辺地宿から北郡横浜村を経由して、北郡田名部村へ至る盛岡藩脇街道

「大道筋(奥州之内南部領海陸道規帳)[1]」(1649年(慶安2年))において、陸奥湾の内海に面した海岸道「入海辺道」と記述されており、野辺地から横浜までの道筋を「砂道」としている。

代官をはじめ勤番の藩士が、盛岡城下から田名部間52里30町44間を往来していたが、夏分は五日路といい、冬分は七日路といった[2]

幕府の巡見使の通行、恐山参拝の通行時以外は閑散たるものであったが、幕末期には北方警備のため田名部道を通過し、大間・奥戸・佐井湊等から蝦夷地に渡海していくために整備されていった。

宿場・伝馬継所

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  (享保7年(1722年)月)[3]

脚注

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  1. ^ (青森県史)資料編 近世篇 4 南部1盛岡藩」
  2. ^ 「下北半島史」笹沢魯羊 (むつ市史)近世編
  3. ^ 『野辺地郷土史資料』(中) (むつ市史)近世編

参考資料

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  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 4 南部1 盛岡藩』青森県、2003年3月3日。 
  • むつ市史編さん委員会『むつ市史 近世 編』青森県むつ市、1988年3月31日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4-040-01020-5 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』平凡社、1982年7月10日。ISBN 4-582-91021-1 

関連項目

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