田原直哉
個人情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1980年12月24日(43歳) 和歌山県和歌山市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 1.65 m (5 ft 5 in) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 69 kg (152 lb) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スポーツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
競技 | 体操、エアリアル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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田原 直哉(たばら なおや、1980年12月24日 - )は、和歌山県和歌山市出身[1]の元体操選手、エアリアル選手。日本体育大学卒。
人物
[編集]体操を始めたのは小学校2年生で、高校を卒業するまで和歌山オレンジ体操クラブに在籍した[2]。
日本体育大学に入学、同期には水鳥寿思がいた[3]。2001年の全日本学生選手権で個人総合3位、ナショナルチーム入りを果たした[4]。
大卒後は徳洲会体操クラブに所属[2]。アテネオリンピックを目指すものの2次選考会22位に終わり[5]、代表入りはならなかった。
2005年に右肩筋断裂。2006年7月のNHK杯体操選手権は18位(前年5位)と不成績に終わり[6]、手術しても北京五輪に間に合わないため引退を決意[7]。
同年8月、体操競技で培った能力を活かせると判断して、トリノオリンピックで知ったエアリアルに転向した[8]。所属は徳洲会スキークラブ。
2008年全日本選手権で3位入賞。その後も2009年2位、2010年・2011年・2016年・2017年・2019年に優勝している。2016年頃からは和歌山のミルキーウェイに所属。
2012年のワールドカップ第1戦では日本人男子選手として初めてメダル(3位)を獲得した。
2017年3月に行われたワールドカップで7位入賞、全日本スキー連盟が定める派遣推薦基準を突破し、平昌オリンピック日本代表となった[4]。
オリンピック本番では踏み切りや着地のミスもあり[9]、最終結果は19位(予選1回目17位、2回目13位)。
体力の衰えや金銭面での不安を抱えていたが、五輪での悔しさから現役を続行した[10]。
2019年からは、エアリアルの新たな人材発掘を目的とする全日本スキー連盟の事業のスタッフとしても活動している[11]。
脚注
[編集]- ^ ニュース和歌山(2018年1月6日)
- ^ a b yahooニュース(2018年2月8日)
- ^ 37歳、苦労人のアスリートの五輪道・2 Number Web
- ^ a b 日本体育大学(平昌オリンピック)
- ^ 第28回オリンピック競技大会体操競技第2次選考競技会
- ^ 第45回NHK杯ほか - 日本体操協会
- ^ 公式サイト プロフィール
- ^ 日刊スポーツ(2017年12月23日)
- ^ エアリアル田原、37歳初出場 予選落ちでも人生かけた朝日新聞 2018年2月18日
- ^ 日刊スポーツ(2018年5月10日)
- ^ 【REPORT 第1次フリースタイル競技(エアリアル)タレント発掘育成事業遠征】全日本スキー連盟
外部リンク
[編集]- 田原直哉オフィシャルサイト
- 田原直哉 (@NaoyaTabara) - X(旧Twitter)