田原啓吾
現役時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市瀬谷区 |
生年月日 | 1994年6月12日(30歳) |
身長 体重 |
182 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 育成選手ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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田原 啓吾(たはら けいご、1994年6月12日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学2年から野球を始める。瀬谷中時代は、横浜瀬谷ボーイズに所属しエースとしてチームを引っ張った[1]。
幼少期からの憧れであった横浜高に進学すると、1年時の秋からベンチ入りする[1]。2年時の春には、チームが第83回選抜高等学校野球大会に出場するが、自身は疲労から来る左手の神経マヒにより登録を外れた[1]。2年時の夏は、投手だけでなく一塁手や外野手もこなす控えとして復帰し、1学年先輩の近藤健介や乙坂智ら共に第93回全国高等学校野球選手権大会に出場。3回戦の智辯学園高戦で9回表に5番手として登板し、打者1人を抑えた。
3年時の春は、第84回選抜高等学校野球大会に出場。ベスト8で関東第一高に2-4で敗れたが、3試合全てに3番・右翼手として出場した。3年時の夏は、神奈川県予選ベスト8で松井裕樹擁する桐光学園高に3-4で敗退したが、自身は背番号9ながら投手として5試合全てに登板した。同期には柳裕也、樋口龍之介がいる。
2012年9月末に、読売ジャイアンツ(巨人)の入団テストを受験した。このテストに合格した[2]ことから、2012年のプロ野球育成ドラフト会議で、巨人から1巡目で指名[3]。育成選手として契約した。
プロ入り後
[編集]2013年には、イースタン・リーグ公式戦1試合に登板したが、3回5失点という内容で敗戦投手になった。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦2試合に登板。通算1イニングを投げただけで、シーズンを終えた。
2015年には、イースタン・リーグ公式戦5試合に登板。1勝1敗、防御率4.30を記録した。
2016年には、イースタン・リーグ公式戦15試合に登板。5勝1敗、防御率1.82という好成績を残した。しかし、支配下選手登録に至らないまま、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[4]。
巨人退団後
[編集]NPB他球団での現役続行を希望していることから、2016年11月12日には、阪神甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加。シートバッティングの対戦で、打者3人を相手に、1奪三振1被安打という結果を残した[5]。
選手としての特徴・人物
[編集]140km/h前後のストレートと100km/hにも満たないスローカーブが武器[6]。
強肩であり高校時代は外野手としてスタメン起用されるなど、強打の打撃も魅力である[2][6]。
自身と同じ左腕投手で、育成選手として巨人に入団した山口鉄也を、目標の投手に挙げている[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 002 (2013年 - 2016年)
脚注
[編集]- ^ a b c “背番号20から18に 瀬谷ボーイズ出身・田原君、甲子園へ”. タウンニュース (2011年8月4日). 2013年3月10日閲覧。
- ^ a b c “巨人からドラフト育成1位で指名された、横浜高校3年生 田原啓吾さん”. タウンニュース (2012年11月8日). 2013年3月10日閲覧。
- ^ “ドラフト会議で菅野投手ら7選手の交渉権獲得”. 読売ジャイアンツ (2012年10月25日). 2013年1月23日閲覧。
- ^ “来季の契約について”. 読売巨人軍公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月3日閲覧。
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日) 2016年11月13日閲覧。
- ^ a b “巨人 “山口2世”横浜高・田原を育成枠で指名へ”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月25日). 2013年3月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田原啓吾 (@g002kt) - X(旧Twitter)