田令 (屯倉)
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田令(たづかい)とは、日本古代の大和朝廷直轄地である屯田の事務をつかさどる官職。
概要
[編集]田部に設置され、田部から納められる租税を管理し、屯倉に収納した。主として、吉備地方の先進的な屯倉に置かれたという。
『日本書紀』巻第十四によると、欽明天皇17年7月(556年)、蘇我大臣稲目宿禰(そが の おおおみ いなめ の すくね)らが遣わされて、備前の児嶋郡に屯倉を設置し、葛城山田直瑞子(かずらき の やまだ の あたい みつこ)が「田令」に任じられた、とある[1]。欽明天皇30年4月(569年)には、白猪屯倉(しらいのみやけ)の田部の丁籍を検定した、王辰爾(おうじんに)の甥の胆津(いつ)に「白猪史」の姓(かばね)を与え、「田令」とし、上記の瑞子の副官とした、という[2]。
『続日本紀』巻第二によると、大宝元年4月(701年)に、「田領」(たつかい)が廃止され、国司の巡検に委ねることとなった、とある[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本書紀』(三)、岩波文庫、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『続日本紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年
- 『角川第二版日本史辞典』p603、高柳光寿・竹内理三:編、1974年、角川書店
- 『岩波日本史辞典』p733、監修:永原慶二、1999年、岩波書店