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田中隆三 (編集者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 隆三(たなか りゅうぞう、1900年2月14日[1] - 1991年2月22日)は日本の編集者。『鉄道ピクトリアル』を発行する電気車研究会の初代社長であり、元鉄道省職員である。

経歴

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1900年(明治33年)、三重県伊勢市にて生まれる、山田中学に進んだ[2]1915年(大正4年)、第一回全国中等学校優勝野球大会(今の夏の甲子園)に選手として出場。1917年(大正6年)、鉄道職員であった父の跡を継ぐ形で鉄道院西部鉄道管理局に入る。

1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)まで、鉄道省給費生として山梨高等工業学校(現在の山梨大学)で電気工学を学んだ。卒業後は東京鉄道局運転部を経て水上機関区長、池袋電車区長、尾久検車区長など運転部門の要職を歴任。1949年(昭和24年)に鉄道省を退職。

在職中から電気機関車関係の現場実務者向けの著作をものにし、退職直前の1948年(昭和23年)に電気車研究会を創立(1950年(昭和25年)に株式会社に改組。初代社長に就任)、鉄道職員向けの月刊誌『電気車の科学』を創刊。1951年(昭和26年)6月には戦後初の鉄道趣味月刊誌『鉄道ピクトリアル』を創刊し、自ら編集主幹として編集にあたる。

1983年(昭和58年)5月に社長職を『鉄道ピクトリアル』元編集長の田中勝(同姓だが血縁は一切無し)に引き継ぎ、会長に就任。没後、田中隆三の子息で元日本テレビプロデューサーの田中知己が社長に就任する[3]

生枠の野球好き、晩年は数少ない夏の甲子園第一回大会出場の存命者としての、球界とマスコミのインタビューもあった。

参考文献

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  • 岩成政和「趣味的見地から見た日本の電気機関車歴史と興味」 番外:本誌創業者田中隆三について
電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2015年1月号 No.899 p24

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、た76頁。
  2. ^ 和久田康雄「イアン・アランと田中隆三 鉄道出版で一時代を作った両氏」電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2001年7月号 No.703 p161~162
  3. ^ 和久田康雄「イアン・アランと田中隆三 鉄道出版で一時代を作った両氏」電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2001年7月号 No.703 p165