田中稔 (陸軍軍人)
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田中 稔 | |
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生誕 |
1883年5月19日 日本 東京府 |
死没 | 1957年4月14日(73歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1904年 - 1936年 1937年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
田中 稔(たなか みのる[1]、1883年(明治16年)5月19日[2] - 1957年(昭和32年)4月14日[2])は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍司政長官。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1883年(明治16年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第15期、陸軍大学校第25期卒業[2]。欧州駐在を経て[1]、1926年(大正15年)3月2日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第23連隊長(第6師団・歩兵第36旅団[3][4])に着任した[1]。1928年(昭和3年)3月に陸軍戸山学校教育部長に転じ[1]、1929年(昭和4年)3月には近衛師団司令部附となり[1]、東京帝国大学に配属された[1]。
1931年(昭和6年)8月1日に陸軍少将進級と同時に歩兵第19旅団長(第16師団[5][6])に就任し[1][2]、1933年(昭和8年)8月に第9師団司令部附となった[2]。1934年(昭和9年)12月に旅順要塞司令官に就任し[2]、1935年(昭和10年)8月1日に陸軍中将に進級[1]。同年12月2日に第3師団司令部附となり[2]、1936年(昭和11年)8月1日に待命[2]、8月28日に予備役に編入された[2]。1937年(昭和12年)8月15日に召集され留守第3師団長に就任し[2]、1939年(昭和14年)8月1日に召集解除となった[2]。1942年(昭和17年)7月に陸軍司政長官に任命され[7]、同年8月15日から1945年(昭和20年)3月1日までマラン州長官を務めた[8]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[9]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 4130301217。
- 明治大正昭和新聞研究会 編集製作『新聞集成昭和編年史 昭和17年度版 3』新聞資料出版、1994年。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。