田中源太郎 (埼玉県の政治家)
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田中源太郎 たなか げんたろう | |
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生年月日 | 1859年1月12日 |
出生地 |
日本 武蔵国葛飾郡樋籠村 (現・埼玉県春日部市) |
没年月日 | 1923年2月9日(64歳没) |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 立憲政友会 |
親族 |
義父・矢口長右衛門(貴族院議員) 娘婿・村田信乃(防府市長) |
在任期間 | 1918年9月29日 - 1922年6月23日 |
埼玉県会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1911年10月13日 - 1919年9月21日 |
田中 源太郎(たなか げんたろう、1859年1月12日〈安政5年12月9日[1][2][3]〉- 1923年〈大正12年〉2月9日[1][2][3][4])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。埼玉県多額納税者[5]。族籍は埼玉県平民[5]。
経歴
[編集]武蔵国葛飾郡樋籠村[1](のち埼玉県北葛飾郡幸松村、現:春日部市)で、葛飾郡随一の素封家・田中為次郎の長男として生まれる[1]。家業の酒造業を継承した[1]。
樋籠村戸長、八丁村連合戸長を歴任し、庄内古川改修などに尽力した[1][2]。1911年(明治44年)、立憲政友会所属で埼玉県会議員に当選した[2]。同年10月13日に就任した[3]。1915年(大正4年)、県会議員に再選された[2]。
1918年(大正7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられた[6]。1919年(大正8年)9月21日、県会議員を退任した[3]。1922年(大正11年)6月23日に貴族院議員を辞職した[1][4][7]。
家族・親族
[編集]- 田中家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『埼玉人物事典』514頁。
- ^ a b c d e 『埼玉県議会史 6巻 549コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 『埼玉県議会百年史 148コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』た21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
- ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。
- ^ 『官報』第2968号、大正11年6月24日。
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』タ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。