田中数之助
田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10日(嘉永元年8月13日[1])- 1924年(大正13年)4月7日[1][2])は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員、京都府南桑田郡亀岡町長。旧姓・原田。
経歴
[編集]丹波国桑田郡西条村[1](京都府[2]南桑田郡曽我部村[3]字西条[1]を経て現亀岡市曽我部町西条)で、大地主、農業・原田八六の二男として生まれる[1]。1869年(明治2年4月)桑田郡亀岡北町(現:亀岡市北町)の田中蔵一の養子となり、1872年(明治5年2月)分家して安町(現:亀岡市安町)に一家を構えた[1]。
その後、通称「新酒屋」と称される酒造業を営み、銘酒「天狗」の販売で知られた[1][2]。1888年(明治21年)南桑田郡酒造組合長に就任し31年間在任[1]。その他、亀岡銀行取締役、京都府農工銀行取締役頭取、丹波寒天監査役などを務めた[1][3]。1922年(大正11年)2月、京都府農工銀行が日本勧業銀行に合併後は、同京都府顧問嘱託に就任した[1]
1884年(明治17年)亀岡安町外11カ町村連合戸長に就任[1]。1889年(明治22年)4月、町村制の施行により亀岡町会議員となる[1][2]。同年、亀岡町長に就任し7年間在任した[1][2]。この間、区有林の統一による植林計画の実施、南桑田郡・船井郡の治水会設立などに尽力した[1]。1894年(明治27年)2月、京都府会議員に選出され2期在任し、1898年(明治31年)7月に退任した[1]。この間、常置委員も務めた[1][2]。
1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(京都府郡部、立憲政友会)で初当選し[1][4]、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙(京都府郡部、立憲政友会)でも再選され[1][5]、衆議院議員に通算2期在任した[2][3]。