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田中庸政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 庸政は、江戸時代初期の大名

生涯

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天正16年(1588年)、田中吉政の五男として近江国に生まれる。長兄の吉次は父に反感を持たれ追放され、次兄の吉信は早世し、三男の吉興は病弱だったため、慶長14年(1609年)に吉政が没すると四男である忠政が跡を継ぎ柳河藩主となった。庸政は忠政の藩政を支えたが、元和6年(1620年)に忠政が病死し、柳河藩田中家は無嗣断絶となった。のち、庸政は近江国野洲郡三河国田原・上野国新田などで合計2万石を与えられ、大名としての田中家の名跡を継いだ。しかし、その2年後の元和8年(1622年)、庸政は兄を追うようにこの世を去った。享年34。

脚注

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出典

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  • 矢野一貞 『筑後将士軍談』