コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田中克佳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 克佳(たなか かつよし、1939年10月27日 - 2011年2月18日)は、日本教育学者、教育史学者。慶應義塾大学名誉教授、元田園調布学園大学教授[1][2]江戸っ子に関する研究で知られる[3]長崎県長崎市出身[4]

経歴

[編集]

1939年生まれ[1]慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程修了[1]1968年慶應義塾大学文学部助手、1972年助教授を経て、1984年教授[5]。同大学退職後は田園調布学園大学でも教鞭を執った。

著書

[編集]

共著

[編集]

編著

[編集]

共訳

[編集]

論文

[編集]
  • 「「学制」発布以前における福沢の学校論」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』5、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1965年。
  • 「「阿蘭陀通詞」の語学学習について―洋学教育史研究のために(上)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』8、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1968年。
  • 「「阿蘭陀通詞」の語学学習について―洋学教育史研究のために(中)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』10、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1970年。
  • 「「阿蘭陀通詞」の語学学習について―洋学教育史研究のために(下)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』11、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1971年。
  • 「明治三・四十年代の社会と教育:天皇制の動搖と再統合をめぐって」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』14、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1974年。
  • 「西洋教育思想の移入と実践・小史―明治日本における」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』15、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1975年。
  • (伊藤暁と共同)「いわゆる「教育の政治化論争」について」『哲学』66、日本哲学会、1977年。
  • 「寺小屋の読み書き教育」『言語生活』309、筑摩書房、1977年。
  • 「人ノ人タル人ハ人ヲ人トス-寺子屋の「しつけ」用教材-」『江戸っ子』23、江戸っ子編集室、1979年。
  • 「福澤諭吉の教育論論考」『近代日本研究』2、慶應義塾福沢研究センター、1985年。
  • 「「寺子屋」の起源と語源をめぐって」『哲学』91、日本哲学会、1990年。
  • 「アルクインのこと(〔英〕Alcuin〔羅〕Alcuinus(Albinus)Flaccus)<735?-804>」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』36、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1993年。
  • 「江戸藩邸内学校の研究(1)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』40、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1994年。
  • 「江戸藩邸内学校の研究(2)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』41、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1995年。
  • 「ラバヌス・マウルスのこと(〔羅〕Rabanus Maurus<780?-856>)」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』43、慶應義塾大学大学院社会学研究科、1996年。
  • 「アルクインとラバヌス・マウルスの影響を維持した人びと」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』51、慶應義塾大学大学院社会学研究科、2000年。
  • 「都市江戸の成立―一般的背景」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』54、慶應義塾大学大学院社会学研究科、2002年。
  • 「「江戸っ子」の人間像とその実体」『哲学』109、日本哲学会、2003年。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 日外アソシエーツ whoplus
  2. ^ 『「教育」を問う教育学―教育への視角とアプローチ』掲載のプロフィールより
  3. ^ 続・江戸しぐさの正体 第16回:NPO法人江戸しぐさの主導者・桐山勝”. ジセダイ (2016年2月24日). 2016年12月19日閲覧。
  4. ^ 田中克佳 - 慶応大名誉教授 教育史 長崎市”. 死去ネット. 2016年12月19日閲覧。
  5. ^ 田中 克佳”. Researchmap. 2016年12月19日閲覧。