生駒親清
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 吉一、市左衛門(通称) |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉 |
氏族 | 生駒氏 |
父母 | 父:生駒親重 |
兄弟 |
親正、親清、勝助、修理亮、 次右衛門、源八郎 |
生駒 親清(いこま ちかきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。諱は吉一とも。
略歴
[編集]生駒親重の次男として誕生した[1]。織田信長の側近として仕え、朱印状の取次、奉書の発給を行なっている(『薬師寺文書』)[1][2]。
天正5年(1577年)3月、信長の雑賀党攻撃に甥の一正と共に従軍し、紀伊の根来口に在陣した[1][2]。天正6年(1578年)12月、荒木村重の謀反の際にも信長に従って摂津高槻城在番、次いで付城の古屋野・池上砦に在番した(『信長公記』)[1][2]。
本能寺の変後は羽柴秀吉に仕え、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに従軍した[3]。