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生駒親忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生駒親忠
いこま ちかただ
生年月日 1871年9月1日
没年月日 (1939-12-10) 1939年12月10日(68歳没)
出身校 私立法律学校修了
前職 日本大学評議員
配偶者 生駒巌子
親族 伯父(叔父)・四条隆謌(貴族院議員)
弟・池田政時(貴族院議員)
義兄(義弟)・柳原義光(貴族院議員)

在任期間 1897年7月10日 - 1904年7月9日
1911年7月10日 - 1916年2月27日
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生駒 親忠(いこま ちかただ、1871年9月1日明治4年7月17日[1]) - 1939年昭和14年)12月10日[1][2])は、明治から大正期の政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・池田、旧名・政謙[1][3]

経歴

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岡山藩主・池田慶政の長男として生まれる[1][4][5]1886年(明治19年)3月、先代生駒親承の死跡を継承し[1][3][4][5]、同月19日、男爵を襲爵[6]、同月26日、親忠と改名した[7]1916年(大正5年)2月26日に隠居し[8]、同年3月23日に分家した[1]

学習院を経て、私立法律学校を修了[2]。育英事業に関わり、日本大学評議員を務めた[3]

1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[9][10]1904年(明治37年)7月9日まで1期在任し[2]、さらに、1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に再選され[11][12]、1916年(大正5年)2月27日に辞職[8]するまで通算2期在任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 上巻』113-114頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』62頁。
  3. ^ a b c d 『華族畫報 下』998頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第4版』い47頁。
  5. ^ a b 『大日本華族大鑑』14頁。
  6. ^ 『官報』第812号、明治19年3月20日。
  7. ^ 『官報』第820号、明治19年3月30日。
  8. ^ a b 『官報』第1072号、大正5年3月1日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
  10. ^ 『官報』第4219号、明治30年7月26日。
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  12. ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』上巻、社団法人霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
生駒親承
子爵
矢島生駒家第2代
1886年 - 1916年
次代
生駒慶男