生駒親忠
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生駒親忠 いこま ちかただ | |
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生年月日 | 1871年9月1日 |
没年月日 | 1939年12月10日(68歳没) |
出身校 | 私立法律学校修了 |
前職 | 日本大学評議員 |
配偶者 | 生駒巌子 |
親族 |
伯父(叔父)・四条隆謌(貴族院議員) 弟・池田政時(貴族院議員) 義兄(義弟)・柳原義光(貴族院議員) |
在任期間 |
1897年7月10日 - 1904年7月9日 1911年7月10日 - 1916年2月27日 |
生駒 親忠(いこま ちかただ、1871年9月1日(明治4年7月17日[1]) - 1939年(昭和14年)12月10日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・池田、旧名・政謙[1][3]。
経歴
[編集]元岡山藩主・池田慶政の長男として生まれる[1][4][5]。1886年(明治19年)3月、先代生駒親承の死跡を継承し[1][3][4][5]、同月19日、男爵を襲爵[6]、同月26日、親忠と改名した[7]。1916年(大正5年)2月26日に隠居し[8]、同年3月23日に分家した[1]。
学習院を経て、私立法律学校を修了[2]。育英事業に関わり、日本大学評議員を務めた[3]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[9][10]、1904年(明治37年)7月9日まで1期在任し[2]、さらに、1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に再選され[11][12]、1916年(大正5年)2月27日に辞職[8]するまで通算2期在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 上巻』113-114頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』62頁。
- ^ a b c d 『華族畫報 下』998頁。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』い47頁。
- ^ a b 『大日本華族大鑑』14頁。
- ^ 『官報』第812号、明治19年3月20日。
- ^ 『官報』第820号、明治19年3月30日。
- ^ a b 『官報』第1072号、大正5年3月1日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
- ^ 『官報』第4219号、明治30年7月26日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
- ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。
参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』上巻、社団法人霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 生駒親承 |
子爵 (矢島)生駒家第2代 1886年 - 1916年 |
次代 生駒慶男 |