生駒直勝
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 永禄7年(1564年) |
死没 | 慶長19年5月19日(1614年6月26日) |
別名 | 甚右衛門(通称)、吉田又市 |
官位 | 従五位下・内膳正 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉→秀次→織田秀雄→前田利長 |
藩 | 加賀藩士(人持組) |
氏族 | 賜姓生駒氏、賜姓豊臣氏 |
父母 | 父:吉田直元 |
妻 | 織田信雄娘 |
子 | 直義、八郎右衛門 |
特記 事項 | 一説に織田信長の落胤説あり。 |
生駒 直勝(いこま なおかつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
生涯
[編集]当初は織田信長に仕え、本能寺の変以後は豊臣秀吉に馬廻として仕える。のちに豊臣秀次に仕え、伊勢国の蔵入地の代官となる。文禄3年(1594年)2月、内膳正に叙任され、豊臣姓を下賜された。慶長元年(1596年)、織田信雄の子の秀雄に仕えた際は信雄の娘を室に迎え、越前国大野郡1509石を宛がわれる。
慶長8年(1603年)、前田利長に招かれ、5000石で加賀藩に人持組として仕える。慶長18年に密厳宗顕を開山として金沢の高巌寺を開基した。慶長19年に前田利家室の芳春院に侍して江戸に赴き、同地で没する。
子孫は加賀藩の人持組(3000石)生駒勘右衛門家として続いている。
関連項目
[編集]- 生駒万子 - 二男・生駒八郎右衛門の子