生駒忠清
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 生年不詳 |
死没 | 没年不詳 |
別名 | 政則 |
官位 | 主殿頭[1]または主殿助[2] |
主君 | 豊臣秀吉→秀頼 |
氏族 | 土田生駒氏 |
生駒 忠清(いこま ただきよ)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。諱は政則とも。
略歴
[編集]生駒親正の一族という[3]。豊臣秀吉に仕えて馬廻を務め、九州征伐や小田原征伐に従軍[2]、文禄元年(1592年)の文禄の役では秀吉の後備衆の1人として100人を率いて肥前国名護屋城に駐屯した[1]。
慶長3年(1598年)8月、秀吉の死に際して遺物貞宗の刀を受領[2]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して大坂備後橋を警固したため、戦後改易された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 吉村茂三郎 著「国立国会図書館デジタルコレクション 松浦古事記」、吉村茂三郎 編『松浦叢書 郷土史料』 第1、吉村茂三郎、1934年 。
- 桑田忠親『大名と御伽衆 増補新版』有精堂出版、1969年、28頁。
- 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』(増訂版)吉川弘文館、1981年、20頁。