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生玉部足国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生玉部 足国(いくたまべ の たりくに、生没年不詳)は日本古代の奈良時代防人遠江国佐野郡(静岡県)の人。はなし[1]。姓は生壬部(みぶべ)とも記される[2]

経歴

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天平勝宝7歳2月6日(755年3月26日)、物部秋持丈部真麻呂丈部黒当物部古麻呂らとともに坂本人上に引率されて、防人として筑紫に派遣される途中で詠んだ歌1首が『万葉集』におさめられている。

父母(ちちはは)が 殿の後(しりへ)の ももよ草 百代(ももよ)いでませ 我が来(きた)るまで[1]

訳:父母の お住まいの裏庭の ももよ草の 百代もお達者でいなされや おれが帰って来る日まで[3]

脚注

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  1. ^ a b 『万葉集』20巻-4329
  2. ^ 元暦校本の赭には「生壬部」と記されており、「壬生部」を転倒して記す例は多い
  3. ^ 『萬葉集』(六)「完訳日本の古典7」p228、小学館、1987年

参考文献

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  • 『萬葉集』(六)完訳日本の古典7、小学館、1987年

関連項目

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