生乃久法
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生乃久法 | |
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出身地 | 日本 |
学歴 | 武蔵野音楽大学 |
職業 | マーチング指導員 |
担当楽器 | ドラム、パーカッション |
活動期間 |
1981年-1983年(VIZION) 1985年 -(マーチング) |
レーベル | 1983年 リバスターレコード |
事務所 | 1983年 VIZION OFFICE |
公式サイト |
ヤマハ株式会社公式ウェブサイト 「アーティストを知る 生乃久法」 |
生乃 久法(いくの ひさのり、生年月日不詳 -)は、日本のドラマー、パーカッショニスト、マーチング指導員である。武蔵野音楽大学卒業。1981年の在学中に結成したバンド『VIZION(ビジョン)』では、ドラムを担当。卒業後は、マーチングパーカッションを全国で指導。日本マーチングバンド協会公認指導員。尚美ミュージックカレッジ専門学校、くらしき作陽大学講師[1]。
来歴
[編集]1981年、大学時代に結成したバンド『VIZION(ビジョン)』に有賀啓雄、石山仁、大竹徹夫、崎谷健次郎、茂野雅道、松本晃彦とともに在籍。ドラムを担当した。
1982年、東京・渋谷エッグマンで『VIZION』のライヴ活動を活発に展開する。
1983年、『VIZION』のデビューアルバム『PSYCHOTIC CUBE(サイカティック・キューブ)』をリバスターレコードから発売する。7月11日、東京・六本木ピットインでのメジャーデビュー・コンサートが最後のライブとなり、バンドが解散する。
1985年、武蔵野音楽大学卒業後、打楽器を小林美隆、塚田靖に、マーチングを山崎昌平に師事する[2]。以降、 国体、インターハイ、植樹祭、育樹祭等の演技指導をはじめ、中学・高校のスクールバンドから一般バンドまでの、打楽器およびマーチングを全国で指導する。
講師担当
[編集]- 尚美ミュージックカレッジ専門学校・管弦打楽器学科
- 専攻実技(マーチング打楽器) / マーチング演習 / マーチング指導法 / ドリルデザイン[3]
- くらしき作陽大学・音楽学部
- 打楽器・マーチング[4]