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生乃久法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生乃久法
出身地 日本の旗 日本
学歴 武蔵野音楽大学
職業 マーチング指導員
担当楽器 ドラムパーカッション
活動期間 1981年-1983年VIZION
1985年 -(マーチング)
レーベル 1983年 リバスターレコード
事務所 1983年 VIZION OFFICE
公式サイト ヤマハ株式会社公式ウェブサイト
「アーティストを知る 生乃久法」

生乃 久法(いくの ひさのり、生年月日不詳 -)は、日本ドラマーパーカッショニストマーチング指導員である。武蔵野音楽大学卒業。1981年の在学中に結成したバンド『VIZION(ビジョン)』では、ドラムを担当。卒業後は、マーチングパーカッションを全国で指導。日本マーチングバンド協会公認指導員。尚美ミュージックカレッジ専門学校くらしき作陽大学講師[1]

来歴

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1981年、大学時代に結成したバンド『VIZION(ビジョン)』に有賀啓雄、石山仁、大竹徹夫崎谷健次郎茂野雅道松本晃彦とともに在籍。ドラムを担当した。

1982年、東京・渋谷エッグマンで『VIZION』のライヴ活動を活発に展開する。

1983年、『VIZION』のデビューアルバム『PSYCHOTIC CUBE(サイカティック・キューブ)』をリバスターレコードから発売する。7月11日、東京・六本木ピットインでのメジャーデビュー・コンサートが最後のライブとなり、バンドが解散する。

1985年、武蔵野音楽大学卒業後、打楽器を小林美隆、塚田靖に、マーチングを山崎昌平に師事する[2]。以降、 国体インターハイ、植樹祭、育樹祭等の演技指導をはじめ、中学・高校のスクールバンドから一般バンドまでの、打楽器およびマーチングを全国で指導する。

講師担当

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専攻実技(マーチング打楽器) / マーチング演習 / マーチング指導法 / ドリルデザイン[3]
打楽器・マーチング[4]

脚注

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  1. ^ 『ヤマハ株式会社』公式ウェブサイト「アーティストを知る 生乃久法」
  2. ^ 『ALSOK』公式ウェブサイト「会社情報広報活動 ALSOCビバーチェ指導者プロフィール」
  3. ^ 『尚美ミュージックカレッジ専門学校』公式ウェブサイト「学科紹介 管弦打楽器学科」
  4. ^ 『くらしき作陽大学・作陽音楽短期大学』公式ウェブサイト「教員一覧」