瑞祥院 (徳川吉通正室)
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瑞祥院(ずいしょういん、1690年3月5日(元禄3年1月25日) - 1731年7月3日(享保16年5月29日)[1])は、江戸時代中期の女性。尾張藩第4代藩主・徳川吉通の正室。父は九条輔実。母は後西天皇の皇女・益子内親王。別名は輔君、輔姫。
生涯
[編集]関白・九条輔実の娘として生まれる。母は後西天皇の皇女である益子内親王[2]。1702年(元禄15年)、尾張藩主・徳川吉通の正室となり、1711年(正徳元年)に長男の五郎太を出産。五郎太は幼くして家督を継ぐが、1713年(正徳3年)に3歳で死去[3]。
脚注
[編集]- ^ 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.211
- ^ “尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
- ^ “尾張藩・尾張徳川家の基礎知識”. 徳川黎明会. 2023年5月18日閲覧。