玖珠郡
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人口20,944人、面積557.97km²、人口密度37.5人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のまま変更されていない。
歴史
古代
太宰府出土の木簡に、「久須評」と書かれたものがあり、7世紀の評制時代の球珠郡のことと推定される[1]。評が郡に改称したのは大宝元年(701年)である[2]。
天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして球珠郡(漢字が現在の「玖」ではなく「球」である)が挙げられている。同書の球珠郡の条には、「昔此村有洪樟樹因曰球珠郡」と記されており、昔、この地に大きな樟があったことに因んで付けられたとされる。範囲は、概ね現在の玖珠郡全域にあたる。
また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』でも、球珠郡とされており、今巳、小田、永野の3郷があったと記されている。
江戸時代
1803年の唐橋世済他『豊後国志』によれば当時の玖珠郡には郷四、山田、古後、帆足の4郷があり、村は麻生原(アソバル)、内匠(タクミ)、恵良(ケラ)、美良津、魚返(オカエリ)など合計81村(村54、支村27)[3]。人口は約29,000人(石高29,333石)。特産品は砂金[4]、明礬石、砥石、天麻(漢方薬原料のオニノヤガラ)等。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 西国筋郡代 | 33村 | 湯坪村、田野村、菅原村、代太郎村、萩ヶ原村、後野上村、野上村、町田村、木納水村、小引治村、引治村、粟野村[5]、右田村、上旦村、下旦村、恵良村、見良津村、松木村、辻村、書曲村、岩室村、南大隈村、北大隈村、木牟田村、四日市村、下塚脇村、上塚脇村、瀬戸口村、中山田村、小田村、山浦村、戸畑村、魚返村 |
藩領 | 豊後森藩 | 7村 | 森村、帆足村、日出生村、太田村、綾垣村、山下村、古後村 |
- 慶応4年閏4月25日(1868年6月15日) - 幕府領が日田県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治8年(1875年)(26村)
- 南大隈村・北大隈村が合併して大隈村となる。
- 下塚脇村・上塚脇村が合併して塚脇村となる。
- 瀬戸口村・中山田村が合併して山田村となる。
- 代太郎村・萩ヶ原村・魚返村が戸畑村に、木納水村・小引治村が引治村に、上旦村・下旦村が右田村に、見良津村が恵良村に、辻村・書曲村が松木村に、木牟田村が四日市村にそれぞれ合併。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の大分県での施行により、行政区画としての玖珠郡が発足。郡役所が森村に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(7村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治26年(1893年)12月13日 - 森村が町制施行して森町となる。(1町6村)
- 明治29年(1896年)10月1日 - 飯田村の一部(野上・後野上)・東飯田村の一部(右田の大部分)が分立して野上村が発足[6]。(1町7村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)4月1日 - 万年村が町制施行・改称して玖珠町となる。(2町6村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 玖珠地方事務所が森町に置かれ、玖珠郡全域を管轄する。
- 昭和26年(1951年)1月1日 - 野上村が町制施行して野上町となる[7]。(3町5村)
- 昭和30年(1955年)
変遷表
自治体の変遷
明治以前 | 明治8年 | 明治22年 4月1日 町村制施行 |
明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
森村 | 森村 | 森村 | 明治26年12月13日 町制 森町 |
森町 | 昭和30年3月1日 玖珠町 |
玖珠町 | |
帆足村 | 帆足村 | ||||||
日出生村 | 日出生村 | ||||||
岩室村 | 岩室村 | ||||||
下塚脇村 | 塚脇村 | 万年村 | 万年村 | 昭和2年4月1日 町制改称 玖珠町 | |||
上塚脇村 | |||||||
南大隈村 | 大隈村 | ||||||
北大隈村 | |||||||
瀬戸口村 | 山田村 | ||||||
中山田村 | |||||||
小田村 | 小田村 | ||||||
山浦村 | 山浦村 | ||||||
太田村 | 太田村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | |||
綾垣村 | 綾垣村 | ||||||
山下村 | 山下村 | ||||||
古後村 | 古後村 | ||||||
戸畑村 | 戸畑村 | 北山田村 | 北山田村 | 北山田村 | |||
代太郎村 | |||||||
萩ヶ原村 | |||||||
魚返村 | |||||||
四日市村 | 四日市村 | ||||||
木牟田村 | |||||||
恵良村 | 恵良村 | 東飯田村 | 東飯田村 | 東飯田村 | 昭和30年2月1日 九重町 |
九重町 | |
見良津村 | |||||||
松木村 | 松木村 | ||||||
辻村 | |||||||
書曲村 | |||||||
右田村 | 一部 | 右田村 | |||||
一部 | 明治29年3月29日 野上村 |
昭和26年1月1日 町制 野上町 | |||||
上旦村 | |||||||
下旦村 | |||||||
後野上村 | 後野上村 | 飯田村 | |||||
野上村 | 野上村 | ||||||
田野村 | 田野村 | 飯田村 | 飯田村 | ||||
湯坪村 | 湯坪村 | ||||||
町田村 | 町田村 | 南山田村 | 南山田村 | 南山田村 | |||
菅原村 | 菅原村 | ||||||
引治村 | 引治村 | ||||||
木納水村 | |||||||
小引治村 | |||||||
粟野村 | 粟野村 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 44 大分県、角川書店、1980年11月1日。ISBN 4040014405。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 『玖珠郡志』。唐橋世済他『豊後国志』、1803年。
- 大庭脩・編『木簡 古代からのメッセージ』、大修館書店、1998年
関連文献
- 玖珠郡史編集委員会 編『玖珠郡史』1917年 。
関連項目
- クスノキ - クスという音韻を持ち、主産地が九州で、古墳時代から仏像や船材に使用された木。
- 邪馬台国 - 魏志倭人伝が記した倭国のクスノキ(櫲樟、柟)の産地。
- 玖珠町 - 亀都起古墳のある玖珠郡の町。