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王連 (空軍司令官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王連
生誕 1912年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道
死没 不明
所属組織 八路軍
朝鮮人民軍空軍
最終階級 中将
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王 連朝鮮語:ワン・リョン、왕련中国語:ワン・リエン、王连)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人延安派に所属。資料によっては王漣(王涟)[1]王璉(王琏)[2][3]とも表記される。朝鮮人民軍空軍の創設者の1人。朝鮮族作家金学鉄の妹婿。

経歴

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1931年、東北人民革命軍密山遊撃隊隊員[4]。1934年、東方勤労者共産大学とレーニン学院に留学。1935年4月、王を含む7人が選抜され、空軍医院で身体検査を受ける[2]。1935年9月、チカロフ空軍第3航空学校に入学[3]。1939年4月に卒業した。同年5月、劉風、李凡、王春と共にソ連から帰国して新疆省で活動。中国共産党駐新疆弁事処で設立された航空理論訓練班で学習[5]。1940年、中国共産党中央委員会の指示で延安に行き、同地で航空活動に従事[6]。1941年1月、機械工程学校が設立されると、劉風と共に助教となり、飛行訓練課を担当[7][8]。同年10月、工程学校は抗日軍政大学第三分校と合併して工程隊となり、王は助教を担当した[9]。1943年11月、中央軍事委員会作戦部空軍組(組長:王弼、副組長:常乾坤)参謀[8]。1944年5月、第18集団軍総参謀部航空組(組長:王弼、副組長:常乾坤)組員[10][11]

1945年9月、中央の指示により、航空学校創設員として王弼、劉風、蔡雲翔と共に東北部に赴く[9][12]。1946年5月、東北民主連軍航空学校飛行教官訓練班を受ける[13]。1947年春、帰国[13][注釈 1]。1948年9月18日、第25飛行連隊長。1949年8月16日、第11飛行師団長。1950年5月末、作戦局長兪成哲上級大佐の要請でソ連軍顧問の作成した作戦計画の翻訳に携わった[14][注釈 2]

1951年1月、航空司令部が発足すると司令官に任命。同年3月15日、遼寧省安東(現在の丹東市)に置かれた中朝空軍連合司令部の第一副司令員を兼任する[15]。1952年末、金浦飛行場を夜間襲撃するように命令を受けるが失敗に終わり、作戦結果を虚偽報告した理由で司令官を解任される。後任には海軍司令官の韓一武がついた。1958年2月5日、国旗勲章第1級を受章[16]

1958年、クーデター計画の容疑で逮捕される。その後の消息については不明。

人物

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アメリカ情報部の情報資料ファイルによれば、北朝鮮空軍創設者の1人であり、部下から好かれていた[17]。また中国語、ロシア語、日本語を話すことができた[17]。そのうち中国語とロシア語は読み書きと流暢に話すことができた[18]。非常に熱心な共産主義者であると言われている[18]

注釈

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  1. ^ 終戦直後に帰国し、1945年10月に李闊などと共に新義州航空隊を創設、1946年3月に新義州航空隊が平壌学院に編入されると同学院航空課長であった[1]、ともある。
  2. ^ その他に工兵局長朴吉南大佐、砲兵司令官金奉律少将、砲兵参謀長鄭学俊大佐、作戦副局長尹相烈大佐、通信の李鍾仁大佐、偵察の崔遠大佐、タンク部隊司令官崔表徳少将、第105戦車旅団長柳京洙少将、兵站の鄭(名は不明)などが関わった

出典

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  1. ^ a b 赤木 2003, p. 13.
  2. ^ a b 韓 1997, p. 58.
  3. ^ a b 馬 1994, p. 532.
  4. ^ 金 2016, p. 60.
  5. ^ 馬 1994, p. 544.
  6. ^ “最早学航空的中共党員” (中国語). 新浪網. (2011年7月18日). http://dailynews.sina.com/bg/chn/chnlocal/chinapress/20110718/03182609945.html 2016年1月8日閲覧。 
  7. ^ 藩銀良『抗战前后中共航空事业述略』” (PDF) (中国語). 军事历史研究. 2017年1月5日閲覧。
  8. ^ a b 編修弁公室 2013.
  9. ^ a b 韓 1997, p. 60.
  10. ^ “特稿:东北老航校研究会在中国人民革命军事博物馆召开纪念东北老航校成立七十周年活动总结大会(组图)” (中国語). 中紅網. (2016年6月23日). http://www.crt.com.cn/news2007/News/jryw/1662311273110J06FA4325AIBC0I73B.html 2017年1月5日閲覧。 
  11. ^ 馬 1994, p. 545.
  12. ^ 袁偉 2001, p. 581.
  13. ^ a b 韓 1997, p. 165.
  14. ^ 朱 1992, p. 198.
  15. ^ “中朝空軍連合司令部” (中国語). 人民網. (2009年11月2日). http://dangshi.people.com.cn/BIG5/151935/172706/172708/10303137.html 2016年1月8日閲覧。 
  16. ^ 서동만 1996, p. 186.
  17. ^ a b RG 319, Assistant Chief of Staff, G-2 (Intelligence), Intelligence Document File Publication 1947-62, Entry # 1004H (UD), ID 950054 : ATIS-FEC Interrogation Report, Box No. 338, 950054 KG 1476 - KG 1500, etc.” (韓国語). 국사편찬위원회 전자사료관. 2019年5月13日閲覧。442コマ
  18. ^ a b RG 319, Assistant Chief of Staff, G-2 (Intelligence), Intelligence Document File Publication 1947-62, Entry # 1004H (UD), ID 950054 : ATIS-FEC Interrogation Report, Box No. 335, 950054 KG 1226 - KG 1250, etc.” (韓国語). 국사편찬위원회 전자사료관. 2019年5月13日閲覧。33コマ

参考

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  • 中国航空工业史编修办公室 (2013). 中国近代航空工业史(1909-1949). 航空工业出版社 
  • 袁伟,张卓 主編 (2001). 中国军校发展史. 国防大学出版社. ISBN 7-5626-1089-4 
  • 韩明阳 (1997). 草创人民空军纪实. 中国文史出版社. ISBN 7-5034-0866-9 
  • 马毓福編著 (1994). 1908-1949中国军事航空. 航空工业出版社. ISBN 7-80046-751-1 
  • 赤木完爾 編『朝鮮戦争 休戦50周年の検証・半島の内と外から』慶應義塾大学出版会、2003年。ISBN 4-7664-1038-6 
  • 朱栄福『朝鮮戦争の真実 元人民軍工兵将校の手記』悠思社、1992年。ISBN 4-94-642435-0 
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
  • 서동만 (1996). “북한 당군관계의 역사적 형성”. 통일문제연구 (평화문제연구소) 8 (2): 159-193. 
  • 김선호 (2016). “한국전쟁 이전 북한 공군 간부의 구성과 정치연합체제의 구축”. 현대북한연구 (심연북한연구소) 19: 52-93. 
  • 北朝鮮の親日派、人民軍になった少年飛行兵(1)” (韓国語). 韓国歴史研究会. 2017年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月8日閲覧。
  • 北朝鮮の親日派、人民軍になった少年飛行兵(2)” (韓国語). 韓国歴史研究会. 2017年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月8日閲覧。