王観 (遼)
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王 観(おう かん、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家・学者。本貫は幽州薊県。
経歴
[編集]博学で弁論を得意とした。重熙7年(1038年)、進士乙科に及第した。後に兵部侍郎となった。
重熙24年(1055年)、興宗が死去すると、王観は西夏に悲報を伝える使者として立った。帰国すると、給事中に任じられた。咸雍元年(1065年)、翰林学士に転じた。咸雍5年(1069年)、乾文閣学士を兼ねた。咸雍7年(1071年)、南院枢密副使に転じ、耶律の国姓を賜った。参知政事となり、知南院枢密事を兼ねた。
勝手に私邸を修築した罪を問われ、爵位を奪われて庶民となり、死去した。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻97 列伝第27