王洽 (東晋)
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王 洽(おう こう、323年 - 358年)は、東晋の政治家。字は敬和。丞相王導の三男であり、中領軍を務めた[1]。書家としても知られる[2]。
官職は、散騎から、中書郎、中軍長史、司徒左長史、建武将軍、呉郡内史、中領軍を歴任。さらに穆帝は中書令に任ずる考えであったが、これは固辞した[1]。升平2年(358年)、病のために没した。享年は36。子に王珣・王珉[1]。孫に南朝宋の太保王弘・王虞・王柳・王孺・王曇首・王朗・王練ら。
書家としては、章草から草書への発展で知られ、同世代の親族の王羲之からも高く評価されている[2]。
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