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王洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王洙(おうしゅ、997年-1057年)は、北宋書誌学者目録学者。松城(現在の河南省商丘)出身。 「金匱要略」の発見者として知られる。

概要

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幼少のころから聡明で、芸術、数学、陰陽、五行、古典、書道など多くのことを学んだ。進士となり 郝・湘・徐・昊の各州に任官した。 翰林学士であったとき、国家の図書館で偶然に張仲景の「金匱玉函要略方」3巻を見つけた。上巻は傷寒、中巻は雑病、下巻は処方と婦人病が記されたものであった。「金匱玉函要略方」は、 その後、さまざまな学者によって編集され、「雑病」、「食禁」、「禁忌」などを記した『金匱要略』としてまとめられた。 晩年は、特に古風な書体で書くことを好んだ[1]。寛大で気さくな人物で、一族のために良く尽くし、友人に信頼され、独身者はすべて結婚させた。

金匱要略

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張仲景は「傷寒と雑病の論」全16巻を著したが、北宋の時代になると「傷寒論」部分10巻が伝存するのみで、「雑病の論」の部分6巻分は散逸してしまい、1~2割が諸家の方書に引用されているにすぎない状態であった[2]。王洙は国家の図書館で虫損を受けた古書中に、「傷寒と雑病の論」をまとめた「金匱玉函要略方」を発見した[2]。そこで転写して数人の学識者に伝え、処方を使用してみたところ、効果は神のごとくであった[2]。「金匱玉函要略方」は、上巻は傷寒、中巻は雑病、下巻は下巻に処方と婦人病が記されていたが、林億らが校正し、上巻の傷寒部分はすでに「傷寒論」として校刊済みなので除き、中下巻の雑病、婦人病、および飲食禁忌までを全25篇、処方262方の3巻本に再編成し、書名は(王洙発見書の)旧称を踏襲して「金匱要略」とした[2][3]

脚注

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  1. ^ 张邦基:《墨庄漫录》卷四中说:“王洙原叔内翰常-{云}-:‘作书册粘叶为上,久脱烂,苟不逸去,寻其次第,足可抄录。屡得逸书,以此获全。若缝缋,岁久断绝,即难次序。初得董氏《繁露》数册,错乱颠倒,伏读岁余,寻绎缀次,方稍完复,乃缝缋之弊也。’”
  2. ^ a b c d 『漢方の臨床』57巻3号405-420頁
  3. ^ 岩手大学図書館所蔵禄

関連項目

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