王栄
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王 栄(おう えい、? - 181年)は、後漢の霊帝の美人(側室)。献帝の生母。趙国邯鄲県の人。祖父は王苞。父は王章。兄は王斌。
経歴
[編集]豊満な女性で聡明かつ算数が得意であったという。家人子(下級女官)として後宮に入り、美人(嬪の位)となった。霊帝の寵愛を受けて、その子供を身籠った。皇后の何氏は気が強い女性であったため、王美人は懼れて堕胎薬を服用したが、効果がなかった。このとき、太陽を背負って歩くという夢を見たという。光和4年(181年)4月、結局劉協(後の献帝)を産むと、何皇后の嫉妬を受けて毒殺されたという。
永漢元年(189年)、董卓によって劉協が帝位に即けられた。興平元年(194年)、劉協は亡母に霊懐皇后の諡号を贈り、文昭陵に改葬した。
後漢の国母の中で、夫帝の諡号を付けられた唯一の側妃である。また、皇后として追贈された4年前(190年)、家臣たちは皇帝の正妻ではないことを理由に、恭懐皇后(和帝の母)、敬隠皇后(安帝の祖母)らの皇后号を奪うよう求め、献帝はこれに同意した。
参考文献
[編集]- 『後漢書』皇后紀下
- 『後漢紀』巻二十七