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王勳(おう くん)は、前漢の人である。生没年不明。成帝から哀帝の時代、鴻嘉2年(紀元前19年)から建平2年(紀元前5年)まで邛成侯であったが、罪を得て免じられた。
祖父は王奉光で、宣帝の皇后(王皇后)の父であったため邛成侯に立てられた[1]。父は王敞。子に王堅固がいた。
王勳は父の後をついで鴻嘉2年(紀元前19年)に邛成侯になった[1]。14年後の建平2年(紀元前5年)、選挙(郷挙里選)での不正を疑われ、廷史(取り調べの役人)を罵った[1]。大不敬の罪とされ、免じられて、庶民に落とされた[1]。
- ^ a b c d 『漢書』18巻、外戚恩沢侯表第6。邛成共侯王奉光の行。