玉置温和
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玉置 温和 | |
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生誕 |
1895年8月15日 日本 奈良県 |
死没 | 1947年9月25日(52歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1917年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
玉置 温和(たまき はるかず[1]、1895年(明治28年)8月15日[2] - 1947年(昭和22年)9月25日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]。
経歴
[編集]1895年(明治28年)に奈良県で生まれた[2]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第41期卒業[2]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第5師団参謀長に着任し[1]、1940年(昭和15年)8月に留守第4師団参謀長に転じた[1]。1942年(昭和17年)7月18日に第2師団参謀長(第17軍)に就任し[2]、ガダルカナル奪回作戦に出征したが[2]、敗退した[2]。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将進級と同時に第30歩兵団長に着任し[1][2]、1944年(昭和19年)1月に保定幹部候補生隊長に転じた[2]。1945年(昭和20年)2月12日に独立混成第96旅団長を経て[2]、4月6日に第52軍参謀長に就任し[2]、本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。