玉満鎬
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玉 満鎬(オク・マノ〈オク・マンホ〉、朝鮮語: 옥만호、1925年9月2日 - 2011年5月13日)は、韓国の軍人、政治家、外交官。第13代韓国国会議員[1]。本貫は宜寧玉氏[2]。全羅南道務安郡夢灘面出身[3]。
経歴
[編集]陸軍少年飛行兵第15期生(周永福らと同期)。朝鮮戦争にも空軍大尉を務め、「勝湖里鉄橋爆破作戦」当時の第二編隊長として出撃した[4][5]。慶熙大学校政外科卒、高麗大学校経営大学院、アメリカ空軍大学修了、国防大学院卒。
韓国空軍参謀総長、空軍大将、駐コロンビア・中華民国大使を歴任[6]。
政界入り後は新民主共和党党務委員、民主党中央党紀委員長・党務委員を歴任した[1]。
米国シルバースター、忠武武功勲章、米国飛行勲章(6回)、乙支武功勲章、金星忠武武功勲章、銀星忠武武功勲章、三等勤務功労勲章、保国勲章統一章、米国功労勲章、インドネシア一等国民の勲章を受章した[1]。
2011年5月13日死去。87歳没[4]。
エピソード
[編集]故郷の務安郡にある昊潭航空宇宙展示館は玉が1998年に私財12億ウォンを投じて設立したもので、2003年に務安郡に寄贈された[3][7]。
朴正煕暗殺事件の後、北朝鮮は台湾に駐在していた韓国大使の玉を対南工作の対象に選んで、彼を包摂するために対南事業部署の工作員の朴炳燁らを台湾に送った。しかし、台湾の情報機関はこの計画を察知し、台湾に潜入しようとしていた朴炳燁一行を逮捕した後、彼らを韓国側に引き渡した[8]。
ソウル特別市銅雀区にあった空軍士官学校の跡地にできたポラメ公園には同じハングル表記の「옥만호」という湖があるが、空軍士官学校の校長を務めた玉の名前に由来する[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “(161)의령 옥씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1986年6月28日). 2022年7月10日閲覧。
- ^ a b 마스터 (2007年4月7日). “옥만호 장군 몽탄면민의 상” (朝鮮語). 무안신문. 2023年9月9日閲覧。
- ^ a b 유현민 (2011年5月13日). “옥만호 前공군참모총장 별세” (朝鮮語). 연합뉴스. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “최초 100회 출격 기록한 김두만 전 공군참모총장” (朝鮮語). m.monthly.chosun.com (2016年6月21日). 2022年7月10日閲覧。
- ^ 外交通商部. “한국 외교 60년”. pp. 500, 523. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月14日閲覧。
- ^ 백창석 (2010年12月4日). “의령 옥씨 유배지로 많은 인물을 배출한몽탄면 사창5리 사동마을” (朝鮮語). 무안신문. 2023年9月9日閲覧。
- ^ “대공수사요원 ‘밥줄’ 위해 시작된 ‘짝퉁’ 수준 간첩 조작” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2014年3月21日). 2023年9月9日閲覧。
- ^ 아시아경제 (2023年4月3日). “[하루만보]양꼬치 먹고 도림천·보라매공원 걸으며 벚꽃 구경”. news.nate.com. 2023年9月9日閲覧。
軍職 | ||
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先代 金斗万 |
大韓民国空軍士官学校校長 第15代:1968年8月1日 – 1970年8月1日 |
次代 孫在権 |
先代 金斗万 |
大韓民国空軍参謀総長 第12代:1971年8月28日 - 1974年8月1日 |
次代 周永福 |
外交職 | ||
先代 安珍生 |
駐コロンビア大韓民国大使 第2代:1975年 - 1978年 |
次代 池連泰 |
先代 金桂元 |
駐中華民国大韓民国大使 第8代:1978年 - 1981年 |
次代 金鍾坤 |