玉水嘉一
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玉水 嘉一(たまみず かいち、1859年〈安政6年〉- 1949年〈昭和24年〉)は明治期の自由民権運動家。加波山事件首謀者の一人。常陸国下館藩(現・茨城県筑西市下館地区)出身。別名は山本幸蔵(やまもと こうぞう)。号は切巌山人(せつがんさんじん)。
概略
[編集]- 1859年(安政6年) - 常陸国下館藩士の家に生まれる。
- 1884年(明治17年) - 加波山事件を起こし逮捕される。
- 服役を終えた後は郷里の下館に戻り、剣道塾を開設する。
- 1905年(明治38年) - この年に刊行された『東陲民権史』の資料収集の中心的役割を務める。
- 1949年(昭和24年) - 没。享年91。
エピソード
[編集]- 1886年(明治19年)の7月、加波山事件に参加し逮捕され小菅集治監に投獄されていた際、獄中で伝習隊の秋月登之助と出会ったという。これが事実ならば秋月の墓碑に刻まれている没年月日(1885年(明治18年)1月6日)よりも1年以上後も秋月が生存していたこととなり、墓碑の没年月日は誤りであるということになる。