玉村勇助
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玉村 勇助(たまむら ゆうすけ、1870年12月24日(明治3年11月3日) - 1946年(昭和21年)12月26日)[1]は、日本の技術者、発明家。
福井県出身[2]。1895年(明治28年)に東京帝国大学工科土木科を卒業した[2]。1898年(明治31年)から足尾銅山に勤務し、銅山で使用されていたイギリス製の空中ケーブルの改良に従事した[1]。1902年(明治35年)に自在運搬器を発明し、1907年(明治40年)に玉村工務所を開設した[2]。同年1907年に有翼抱索子を発明して新型ケーブルを開発した[1]。
1919年と1933年に全国発明表彰の有功賞が授与されている[3][4]。