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玉木幸則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たまき ゆきのり

玉木 幸則
生誕 (1968-08-23) 1968年8月23日(56歳)
日本の旗 日本兵庫県姫路市
国籍 日本の旗 日本
出身校 日本福祉大学社会福祉学部第2部
職業 社会福祉士、障害者支援団体役員 など
著名な実績 障害者支援、およびそれに関わるメディア出演
代表作きらっといきる
バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』(いずれもNHK Eテレ
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玉木 幸則(たまき ゆきのり、1968年8月23日[1] - )は、日本著述家テレビタレント障害者相談支援専門員。

特定非営利活動法人メインストリーム協会理事、社会福祉士

脳性まひを持つ。『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』(NHK教育テレビ)などに出演している。

人物・来歴

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兵庫県姫路市出身[2]。出産時の事故が原因で脳性まひとなる。日本福祉大学社会福祉学部第2部卒業[2]

既婚。妻は大学の先輩。一男一女の父である[3]

「バリバラ」出演まで

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玉木がテレビへ出演するようになったきっかけは、『バリバラ』の前身である『きらっといきる』のプロデューサーの要請により、前任者の牧口一二の後を継いだことに始まる。当初、玉木は2ちゃんねるでの炎上や自らの言語障害などを考慮し、テレビ出演を躊躇していたが、以前の『きらっといきる』への出演時に玉木が発言した、「僕の夢は、『きらっといきる』のような番組が無くなっていくことです」という言葉をプロデューサーが持ち出し、「あんたの手で無くしてもらってええんやで」と言われたことが決め手となった。

当初の一年間は以前の番組を踏襲する形で進められたが、一年の締めくくりの反省会席上で、玉木が主張する「頑張った感を出さない」という理念に対して、ディレクターの不満が噴出する。「頑張った感を出さないとは、どういうことや? 頑張っていることを見せて何が悪い!」というものであった。会話を重ねる内に、山本シュウが「それってバラエティーやなぁ」と言い始めた。これを受けプロデューサーが「じゃあ、バラエティーにしましょう」ということになり『バリバラ』が生まれた。

そのわずか一ヶ月半後、異例のスピードでバリバラが企画される。2012年4月には障害者が「本当に必要な情報」を楽しく届ける番組として放送が始まった。番組ではこれまではタブー視されてきた障害者のや、障害自体を笑いのネタにするような内容まで含み、真のバリアフリーを目指す画期的なものとなった[4]

著書

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  • 生まれてきてよかった―てんでバリバラ半生記― 解放出版社(2012年10月22日)
  • トコトン生きるための15問 解放出版社(2020年)

出演番組

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脚注

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  1. ^ とちぎ相談支援専門員協会研修会 Eテレ バリバラ出演の玉木幸則さん「玉木的幸福論 障がい者差別にまつわるエトセトラ」”. 栃木県社会福祉士会 (2016年5月24日). 2017年2月26日閲覧。
  2. ^ a b 一宮市障害者自立支援協議会講演会”. 一宮市 (2020年1月17日). 2021年2月28日閲覧。
  3. ^ NHKバリバラ公式サイト
  4. ^ 週刊メインストリーム通信Vol.94 NHKバリバラ