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玉川勝太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉川 勝太郎(たまがわ かつたろう)は、浪曲名跡

初代

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初代 玉川たまがわ 勝太郎かつたろう
本名 鈴木 鎌治郎
生年月日 1881年3月10日
没年月日 (1926-06-24) 1926年6月24日(45歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市本所区
師匠 青木昇
弟子 小金井太郎
二代目玉川勝太郎
名跡 1. 青木勝太郎
2. 初代玉川勝太郎

玉川 勝太郎1881年3月10日 - 1926年6月24日)本名は鈴木鎌治郎[注 1]

東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)の生まれ。青木昇の弟子で、故あって青木勝太郎から玉川勝太郎となった。小音ながら新内調の節で、「越後伝吉」や「天保水滸伝」など侠客物を得意にし、「玉川勝太郎の浪花節を有するは実に東京の誇りなり」(樋口罔象もうしょう による賛辞)とまで讃えられる。向島言問に寄席「玉川亭」を経営するが失敗し、喉を痛めて千葉県市川に隠棲する。

主な弟子

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2代目

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2代目 玉川たまがわ 勝太郎かつたろう
2代目 玉川(たまがわ) 勝太郎(かつたろう)
巨漢のエピソードが残る。
本名 石渡いしわたり 金久かねひさ
生年月日 1896年5月1日
没年月日 (1969-08-13) 1969年8月13日(73歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市牛込区
師匠 初代玉川勝太郎
配偶者 玉川花江

2代目玉川 勝太郎1896年5月1日 - 1969年8月13日)本名は石渡 金久。

東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)の生まれ。浪曲好きの父の影響で、17歳で初代に入門し玉川次郎、兄弟子の玉川太郎とともに「玉川の両翼」と称される。はじめ治郎、のち次郎で真打。剃髪して袈裟姿で「玉川教風」を号したのち、次郎に戻り1932年に2代目勝太郎を襲名[1]。師匠譲りの関東節で任侠物を磨き上げ、「天保水滸伝」「清水次郎長伝」「国定忠治」などを十八番にした。中でも「天保水滸伝」の外題付け「〽利根の川風、袂に入れて…」(正岡容作)の名調子は、レコードに吹き込まれて一世を風靡した。のちに勝太郎は正岡について「このネタは僕のものだが歌詞は彼がすっかり変えて、ご存知のような名文になった」「蔵が建った(それほどではないが…)現在の僕にしてくれたのは正岡容なのだから」と述べている[2]。一方の正岡も勝太郎を評して「五月の大利根を見るような洋々たる節調」「豪放な中に一抹のセンチメンタリズムが加味されるにいたった」と述べている[3]。その長く尾をひいて歌う哀調の節は、勝太郎が自宅で飼っていたローラーカナリアの鳴き声にヒントを得て作られたものである[4][5]

1964年帝国劇場で娘婿の福太郎に勝太郎を譲って「玉川勝翁」を名乗り引退、新作にも挑戦した。極度の近視、かつ巨躯で、数々の逸話がある。1969年に脳軟化症で死去。

主な弟子

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映画出演

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  • 浪曲映画「安中草三郎」1940.6.29公開[6]
  • 「あさぎり軍歌」1943.4.29公開[7]霧立のぼる、特殊技術:円谷英二東宝赤系
  • 「天保水滸伝 利根の火祭」1952.6.26公開[8]

レコード

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41.47.48.49.55.58.71.

3代目

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3代目 玉川たまがわ 勝太郎かつたろう
本名 石渡いしわたり 栄太郎えいたろう
生年月日 1933年5月20日
没年月日 (2000-10-04) 2000年10月4日(67歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市日本橋区
師匠 2代目玉川勝太郎
活動期間 1947年 - 2000年
所属 日本浪曲協会
備考
日本浪曲協会会長(1994年 - 1995年)

3代目玉川 勝太郎1933年5月20日 - 2000年10月4日)本名は石渡 栄太郎(2代目の娘婿)。

東京・日本橋生まれ。1947年わかの浦孤舟に入門し[9]、翌年2代目玉川勝太郎門下に移り、「桜丸」から初代福太郎を名乗る[10]1964年に3代目勝太郎を襲名し、玉川一門のお家芸とも言える任侠物を継承。浪曲不振の時代にあって、日本テレビ「お昼のワイドショー」にて市井の人物の半生を取り上げ浪曲化するコーナー「人間シリーズ」を担当するなど、現代性を足した持ち味であった。1989年文化庁芸術祭賞受賞。1994年には日本浪曲協会会長[11]。2000年に肝臓癌で死去。67歳没。

主な弟子

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脚注

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注釈

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  1. ^ 勝木青太郎、との記述(安斎:浪曲事典)あるが、誤り

出典

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  1. ^ 『実録浪曲史』p.322
  2. ^ 玉川勝太郎「名文「天保水滸伝」 正岡容との友情」『読売新聞夕刊』1954年6月14日、4面。
  3. ^ 正岡容『日本浪曲史』南北社、1968年1月、282-283頁。 
  4. ^ 『独習で上達する浪曲の習い方』 広沢竜造編より
  5. ^ 『浪花節一代』 玉川勝太郎自身の一文より
  6. ^ 上425
  7. ^ jmdb
  8. ^ jmdb
  9. ^ 「実録 浪曲史」P.323
  10. ^ 文化デジタルライブラリー 人物履歴
  11. ^ 歴代会長紹介”. 日本浪曲協会. 2022年5月7日閲覧。