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獅子ケ城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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獅子ケ城
佐賀県
三の丸南櫓の石垣
三の丸南櫓の石垣
別名 鹿家城、獅子城
城郭構造 山城
築城主 源披
築城年 治承年間
主な城主 源氏鶴田氏
廃城年 元和元年(1615年
遺構 曲輪石垣
指定文化財 県指定史跡
位置 北緯33度18分43.0秒 東経130度02分27.4秒 / 北緯33.311944度 東経130.040944度 / 33.311944; 130.040944
地図
獅子ケ城の位置(佐賀県内)
獅子ケ城
獅子ケ城
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獅子ケ城(ししがじょう)、または鹿家城・獅子城は、佐賀県唐津市厳木町岩屋・浪瀬にあった日本の城山城)。佐賀県指定史跡[1]

概要

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松浦党源披治承年間(1177年~1181年)に築城したと伝えられる[2]

唐津市厳木町にある白山の山頂、標高228メートルに位置し、城の周囲は急な崖となっている。有明海玄界灘分水界に近く防衛の拠点となったが、息子の源持が平戸に移ったため廃された。

その後、天文年間(1532年~1555年)頃に松浦党の鶴田前が城主となり復興している。大友氏龍造寺氏後藤氏などの勢力の境界に位置し、天文13年(1544年)には龍造寺氏は攻撃したが失敗し、翌14年(1545年)には5日間占領したものの奪回されている。

永禄年間(1558年~1570年)には波多氏が数回にわたって来攻したが、撃退している。天正5年(1577年)に波多親が上松浦松浦党の首領となると、城主の鶴田賢はこれに服属した。やがて波多氏が追放されると文禄2年(1593年)に後藤氏の家臣となり、城は廃された。その後は寺沢広高が改修して石垣のある城となったが、元和元年(1615年)頃、再び廃城となったという。1991年(平成3年)3月30日に佐賀県の史跡に指定された[1]

脚注

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  1. ^ a b 「県指定史跡 獅子城跡」唐津市公式HP
  2. ^ 「獅子城跡」唐津市公式HP

参考文献

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関連項目

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