猪股謙二郎
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猪股謙二郎 いのまた けんじろう | |
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生年月日 | 1889年12月9日 |
出生地 | 日本 秋田県 |
没年月日 | 1975年6月10日(85歳没) |
出身校 | 明治大学予科 |
前職 | 農業 |
所属政党 | 立憲民政党 |
選挙区 | 秋田県第2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1930年 - 1936年1月21日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1946年 - 1948年 1951年 - 1955年1月17日 |
秋田県会議員 | |
選挙区 | 由利郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1922年 - 1930年2月 |
由利郡会議員 | |
石沢村長 | |
その他の職歴 | |
石沢村会議員 ( - ) |
猪股 謙二郎(いのまた けんじろう、1889年12月9日[1] - 1975年6月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。初代本荘市(現:由利本荘市)長。
経歴
[編集]秋田県出身。旧制秋田県立本荘中学校(現在の秋田県立本荘高等学校)を経て[1]、明治大学予科で学ぶ[2]。帰郷後、営農し[2]、石沢村議、同助役、同村長[2]、由利郡会議員[1]などを歴任した。1922年11月、秋田県会議員補欠選挙に由利郡選挙区から立候補して当選した[3]。その後、1923年、1927年にも当選した[4]。1930年2月に県議を辞職した[4]。同年の第17回衆議院議員総選挙において秋田2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。この間、文部大臣秘書官を歴任した[2]。1932年の第18回衆議院議員総選挙でも再選。1936年の第19回衆議院議員総選挙で落選した[5]。その後、1946年本荘町長に就任した[1]が、1948年に公職追放となる[1]。2年後の1950年に追放解除[1]。翌1951年の町長選挙で現職を破って、本荘町長に復帰した[6]。1954年に本荘市が発足するとともに初代市長に就任[1]。翌1955年1月17日に一身上の都合で市長を辞職した[7]。
1955年本荘市長選挙
[編集]本荘市発足後初の選挙に立候補したが、佐藤憲一に敗れた[8]。
※当日有権者数:20,452人 最終投票率:91.8%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
佐藤憲一 | 39 | - | 新 | 11,366票 | 60.9% | - |
猪股謙二郎 | 65 | - | 前 | 6,983票 | 37.4% | - |
逸見久吉 | 48 | - | 新 | 306票 | 1.6% | - |
この他、由利銀行監査役[2]、鳥海新報社、由利水力発電、本荘運送などの各社長[2]、秋田誉酒造会長[2]、由利郡、同本荘種牛馬各区会議員、石沢村農会長、由利郡畜産、秋田県馬商、由利郡馬匹各組合長なども務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第1巻、305頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』49頁。
- ^ 『秋田県議会百年のあゆみ 74コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『秋田県議会百年のあゆみ 75コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』105頁。
- ^ 『本荘市史 通史編 3 352コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『本荘市史 通史編 3 374コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『本荘市史 通史編 3 375コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。