猪子利男
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県一宮市(旧:一宮町) |
生年月日 | 1921年5月24日 |
没年月日 | 1998年5月26日(77歳没) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 遊撃手 外野手 |
プロ入り | 1941年 |
初出場 | 1941年 |
最終出場 | 1943年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
猪子 利男(いのこ としお、1921年5月24日 - 1998年5月26日[1])は、愛知県中島郡一宮町(現:一宮市)出身のプロ野球選手。
来歴・人物
[編集]東邦商業では春夏合わせて5度の甲子園に出場し、第16回選抜野球大会ではレギュラー遊撃手として優勝を経験した[1]。
1941年に南海軍へ入団し、1942年には33犠打を記録している。これは当時のプロ野球記録でもあり、1965年に近藤昭仁(大洋)が41犠打で更新するまで、23年間も破られなかった。また、長年球団記録でもあったが、2009年に川﨑宗則が43犠打、2010年には本多雄一が50犠打で記録を更新した。[2]
1944年に応召。終戦後は福井県の紡績会社で働いていたが、1948年に函館太洋倶楽部へ入団し、主将として都市対抗野球大会へ出場するなど1952年までプレーした[1]。
その後も、函館太洋倶楽部創部90年を記念して設立されたOB会の初代会長に就任するなど、後進の指導に力を入れていたが、1998年5月26日に死去した[1]。77歳の誕生日を迎えた2日後のことであった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1941 | 南海 | 43 | 135 | 120 | 14 | 23 | 1 | 0 | 0 | 24 | 6 | 1 | -- | 4 | -- | 11 | -- | 0 | 10 | -- | .192 | .260 | .200 | .460 |
1942 | 105 | 425 | 349 | 35 | 69 | 8 | 3 | 1 | 86 | 17 | 16 | 6 | 33 | -- | 42 | -- | 1 | 28 | -- | .198 | .286 | .246 | .532 | |
1943 | 82 | 367 | 317 | 23 | 55 | 3 | 4 | 1 | 69 | 11 | 18 | 7 | 9 | -- | 38 | -- | 3 | 21 | -- | .174 | .268 | .218 | .486 | |
通算:3年 | 230 | 927 | 786 | 72 | 147 | 12 | 7 | 2 | 179 | 34 | 35 | 13 | 46 | -- | 91 | -- | 4 | 59 | -- | .187 | .275 | .228 | .503 |
背番号
[編集]- 10 (1941年 - 1944年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 猪子利男 - NPB.jp 日本野球機構